高橋さんへ
なんだか懐かしいですね。高橋さんと会ってもう10年以上。10年前はこうして
文通してたんですよね。僕が上京してからは長電話ばかりになって、手紙なんて全然書かなくなったけど、ひさしぶりに手紙を書くと、なんだかちょっと気恥ずかしいです。まずはとっかかりという事で、読者の皆さんに分かるように、そもそもの始まりから書きましょうか...。
10年前、僕が上京したばかりの頃、小寺さん(自主映画作家 作品に『酒乱刑事
』『舞姫』等がある、『ソドム』では新谷と共に野性化した浮浪者の役を熱演)のアパートで高橋、塩田、井川、小寺、新谷の5人で、12時間くらいどんちゃん騒ぎをした事がありました。その時小寺さんがVHS-C(!)で、高橋さんの「恐怖体験ベスト10」 塩田さんの「恋愛自慢ベスト10」 井川さんの「ピンク映画ベスト10」をインタビュー録画して(塩田さんが、モテモテ話をえんえん喋るので、途中からはカセットでの録音のみになってますが)、その時のテープはまだ小寺の部屋にあるはずです。あの時聞いた高橋さんの「ベスト10」が、『女優霊』になり『リング』になり、その時の冗談話が今回の『ソドム』に繋がっているんですから、いやはや小寺飲み会は偉大だったのかもしれません。
あの日、僕が『牛乳屋フランケン』(「牛乳屋フランキー」1956年 日活 中平康 のタイトルパクリ)なんて映画はどうですかね、なんて話をして、その後だったか高橋さんが「俺はすごい凶暴な座頭市で『ソドムの市』というのを考えた」と、だじゃれ合戦になり、その場はワハハですんだんですが...。 3年前に映画美学校でやった「3日で撮れる?!即席映画大会!!」* という公開ゼミがベースとなり、ホントに『牛乳屋フランケン』が出来てしまっったんで。「高橋さん、こうなったら次は『ソドム』ですよ!」と、そこから企画が動き出した訳です。いや、若い頃にだじゃれは言っとくもんです。 その頃北野武が『座頭市』を作ってるという噂が入って来て、「高橋さん、たけしごときに『座頭市』を作られていいんですか?」とますますたきつけて。ちょうどユーロスペース製作で「DVシネマ」(「映画番長」の前身)の企画を募集してたんで、「いまさら『Jホラー』の縮小再生産したってつまんないから、『ソドム』をねじ込んじゃえ」「どうせ低予算、DV撮りなんだから、スタッフは映画美学校の卒業生で固めて自主映画体制で勝手な事やっちゃおう」「『刑事祭』が成功したんだから『ソドム』でその長編版をやったって良いはずだ」「そうだそうだ」「やろうやろう」と、密談がまとまったわけです。ホントはもっと自主映画的に「全編8ミリフィルムで撮って、テレシネかけて、むりやり商業映画の劇場にかけちゃおう」という野望もあったのですが、「映画番長」の企画自体がDVX100というビデオカメラの使用前提だったので、それは無理でした。
今の日本で、テレビ局お仕着せの小ハリウッド映画か、ちまちました自分探しの私映画じゃない、新しい「映画」のあり方を模索したい。大金がなきゃ映画は作れないの? 巨大な流通に乗らなきゃ「超大作エンターテイメント」は成立しないの? 僕たちだって『ポセイドンアドベンチャー』みたいな映画作りたいよね。『2001年宇宙の旅』や『ゴジラ』や「007』や『燃えよドラゴン』だって作りたい。そんな中学生みたいな話を、高橋さんと10年間続けて、『ソドム』が一応の答なわけです。まあ中学生(とても高校や大学の映研といったレベルじゃない)の映画ごっこを40過ぎてやっちゃったわけですね。映画を作るという事が、社会や、仕事や、義務感からどんどん離れて行って、純粋化して行く。何のためでもない、誰のためでもない映画が誕生する。しかもそれはエンターテイメントとしてきちんと成立している。そんな事が、ほんの20年前までは日本の商業映画界にもあったはずなんです。僕たちはそれをやりたかった。
しかしよく喋りましたね。週に2、3回、1?2時間は喋りますから、平均5時間位=1年で250時間=10年で2500時間、たぶんもっと喋ってます。まあこの雑談(高橋さんは「ぼやき」と言ってますが)から『ソドム』が生まれたんですが。 そういえば、ここで書いた『牛乳屋フランケン』他色々、「ソドム」関係者の自主映画がインターネット公開されます。無料です。近々アナウンスがありますので皆さんお楽しみに。あっそうそう、2年前に高橋さんのゼミで作った8ミリ短編(「1日で撮る8ミリ映画講座」**の作品)もインターネットで流してもらいましょう。美学校で『プレ、ソドム』として、なにが行われていたか、それを見てもらうのも面白いと思います。それと、さしあたって高橋さんの方から「プロレタリア芸術運動」に関して、もう少し詳しく教えてもらえませんか、僕は以前電話で聞いたけど、読者の人たちはよくわからんと思うので。
日野日出志先生(やっぱり先生と呼びたくなっちゃいますね)に会われたそうで、ホントにおめでとうございます。僕も『蔵六の奇病』大好きだったので羨ましいです。吹き出しに関する考え方、台詞から(つまりストーリーから)発想できない体質、短編アニメ作家としては親近感を覚えます。日野日出志的、凝縮に向かう表現...。
『ソドム』はサイレント的映画作りを目指していた訳ですが、高橋さん自身『ソドム』で凝縮と拡散、またはサイレントVSトーキーの引っ張り合いを体感した瞬間はなかったでしょうか? (リアルに見せたいVSチープでOK、といったリアリティー上のせめぎ合いも含めて)『ソドム』という作品、そのせめぎ合いの振り子の揺れによって成立している映画でしょうから...。それではこのへんで。(新谷)
p.s 小寺飲み会ビデオをインターネットで流すってのは...塩田さんいやがるかな?
*「3日で撮れる!?即席映画大会」 3年前開かれた、映画美学校での公開講座。小寺学、井出豊、山田広野の三作家による3日で撮った映画の上映と、トークイベント。その実践編として『牛乳屋フランケン』が美学校生の協力で製作された。新谷はプロデュース担当。
**「1日で撮る8ミリ映画講座」 「3日」で味をしめた高橋が、井手、新谷を巻き込んで行った8ミリ製作ゼミ。撮影は即興、参加者それぞれが自分のやりたいキャラクターを演じ、各人が8ミリフィルムを一本ずつ撮影、演出し、それぞれの参加者が全てのフィルムを共有し、好き勝手に編集し、短編映画を何本も製作するという、即興撮影、パクリ編集のトレーニング講座。
なんだか懐かしいですね。高橋さんと会ってもう10年以上。10年前はこうして
文通してたんですよね。僕が上京してからは長電話ばかりになって、手紙なんて全然書かなくなったけど、ひさしぶりに手紙を書くと、なんだかちょっと気恥ずかしいです。まずはとっかかりという事で、読者の皆さんに分かるように、そもそもの始まりから書きましょうか...。
10年前、僕が上京したばかりの頃、小寺さん(自主映画作家 作品に『酒乱刑事
』『舞姫』等がある、『ソドム』では新谷と共に野性化した浮浪者の役を熱演)のアパートで高橋、塩田、井川、小寺、新谷の5人で、12時間くらいどんちゃん騒ぎをした事がありました。その時小寺さんがVHS-C(!)で、高橋さんの「恐怖体験ベスト10」 塩田さんの「恋愛自慢ベスト10」 井川さんの「ピンク映画ベスト10」をインタビュー録画して(塩田さんが、モテモテ話をえんえん喋るので、途中からはカセットでの録音のみになってますが)、その時のテープはまだ小寺の部屋にあるはずです。あの時聞いた高橋さんの「ベスト10」が、『女優霊』になり『リング』になり、その時の冗談話が今回の『ソドム』に繋がっているんですから、いやはや小寺飲み会は偉大だったのかもしれません。
あの日、僕が『牛乳屋フランケン』(「牛乳屋フランキー」1956年 日活 中平康 のタイトルパクリ)なんて映画はどうですかね、なんて話をして、その後だったか高橋さんが「俺はすごい凶暴な座頭市で『ソドムの市』というのを考えた」と、だじゃれ合戦になり、その場はワハハですんだんですが...。 3年前に映画美学校でやった「3日で撮れる?!即席映画大会!!」* という公開ゼミがベースとなり、ホントに『牛乳屋フランケン』が出来てしまっったんで。「高橋さん、こうなったら次は『ソドム』ですよ!」と、そこから企画が動き出した訳です。いや、若い頃にだじゃれは言っとくもんです。 その頃北野武が『座頭市』を作ってるという噂が入って来て、「高橋さん、たけしごときに『座頭市』を作られていいんですか?」とますますたきつけて。ちょうどユーロスペース製作で「DVシネマ」(「映画番長」の前身)の企画を募集してたんで、「いまさら『Jホラー』の縮小再生産したってつまんないから、『ソドム』をねじ込んじゃえ」「どうせ低予算、DV撮りなんだから、スタッフは映画美学校の卒業生で固めて自主映画体制で勝手な事やっちゃおう」「『刑事祭』が成功したんだから『ソドム』でその長編版をやったって良いはずだ」「そうだそうだ」「やろうやろう」と、密談がまとまったわけです。ホントはもっと自主映画的に「全編8ミリフィルムで撮って、テレシネかけて、むりやり商業映画の劇場にかけちゃおう」という野望もあったのですが、「映画番長」の企画自体がDVX100というビデオカメラの使用前提だったので、それは無理でした。
今の日本で、テレビ局お仕着せの小ハリウッド映画か、ちまちました自分探しの私映画じゃない、新しい「映画」のあり方を模索したい。大金がなきゃ映画は作れないの? 巨大な流通に乗らなきゃ「超大作エンターテイメント」は成立しないの? 僕たちだって『ポセイドンアドベンチャー』みたいな映画作りたいよね。『2001年宇宙の旅』や『ゴジラ』や「007』や『燃えよドラゴン』だって作りたい。そんな中学生みたいな話を、高橋さんと10年間続けて、『ソドム』が一応の答なわけです。まあ中学生(とても高校や大学の映研といったレベルじゃない)の映画ごっこを40過ぎてやっちゃったわけですね。映画を作るという事が、社会や、仕事や、義務感からどんどん離れて行って、純粋化して行く。何のためでもない、誰のためでもない映画が誕生する。しかもそれはエンターテイメントとしてきちんと成立している。そんな事が、ほんの20年前までは日本の商業映画界にもあったはずなんです。僕たちはそれをやりたかった。
しかしよく喋りましたね。週に2、3回、1?2時間は喋りますから、平均5時間位=1年で250時間=10年で2500時間、たぶんもっと喋ってます。まあこの雑談(高橋さんは「ぼやき」と言ってますが)から『ソドム』が生まれたんですが。 そういえば、ここで書いた『牛乳屋フランケン』他色々、「ソドム」関係者の自主映画がインターネット公開されます。無料です。近々アナウンスがありますので皆さんお楽しみに。あっそうそう、2年前に高橋さんのゼミで作った8ミリ短編(「1日で撮る8ミリ映画講座」**の作品)もインターネットで流してもらいましょう。美学校で『プレ、ソドム』として、なにが行われていたか、それを見てもらうのも面白いと思います。それと、さしあたって高橋さんの方から「プロレタリア芸術運動」に関して、もう少し詳しく教えてもらえませんか、僕は以前電話で聞いたけど、読者の人たちはよくわからんと思うので。
日野日出志先生(やっぱり先生と呼びたくなっちゃいますね)に会われたそうで、ホントにおめでとうございます。僕も『蔵六の奇病』大好きだったので羨ましいです。吹き出しに関する考え方、台詞から(つまりストーリーから)発想できない体質、短編アニメ作家としては親近感を覚えます。日野日出志的、凝縮に向かう表現...。
『ソドム』はサイレント的映画作りを目指していた訳ですが、高橋さん自身『ソドム』で凝縮と拡散、またはサイレントVSトーキーの引っ張り合いを体感した瞬間はなかったでしょうか? (リアルに見せたいVSチープでOK、といったリアリティー上のせめぎ合いも含めて)『ソドム』という作品、そのせめぎ合いの振り子の揺れによって成立している映画でしょうから...。それではこのへんで。(新谷)
p.s 小寺飲み会ビデオをインターネットで流すってのは...塩田さんいやがるかな?
*「3日で撮れる!?即席映画大会」 3年前開かれた、映画美学校での公開講座。小寺学、井出豊、山田広野の三作家による3日で撮った映画の上映と、トークイベント。その実践編として『牛乳屋フランケン』が美学校生の協力で製作された。新谷はプロデュース担当。
**「1日で撮る8ミリ映画講座」 「3日」で味をしめた高橋が、井手、新谷を巻き込んで行った8ミリ製作ゼミ。撮影は即興、参加者それぞれが自分のやりたいキャラクターを演じ、各人が8ミリフィルムを一本ずつ撮影、演出し、それぞれの参加者が全てのフィルムを共有し、好き勝手に編集し、短編映画を何本も製作するという、即興撮影、パクリ編集のトレーニング講座。