「ソドム、おおいに笑う」(猫目小僧)_世界ソドム会議_映画: 高橋洋の『ソドムの市』 | CineBunch

■ 「ソドム、おおいに笑う」(猫目小僧)

いまだにぼく自身、
ちゃんと食べ尽くしていない、消化しきれていない感がある
映画「ソドムの市」。
ちょっとしたワンシーン、ワンカットにも、
スタッフやキャストのアイディアがひしめいているため、
それを見つけ始めるともう止まらなくなります。
だから、
当然といえば当然な、
至極ありふれた言い方になりますが、
「観た」人の数だけ「ソドムの市」はまさに存在すると言って良いでしょう。
ですので、
同じ映像を観ているにも関わらず、
ある人にとっては映画的記憶の解釈が実行されているかも知れませんし、
またある人にとっては個人的な恋愛やらの記憶が触発されているかも知れません。
故に、
ある人にとっては「笑える」映画であっても、
ある人にとっては「二度と観たくない」映画かも知れないし、
またある人にとっては「泣ける」映画かも知れません。
「ソドムの市」に関して、
「笑っていいのか迷ってしまった」という意見をよく目にしますが、
それこそ映画「ソドムの市」の最大の特色と思います。
「ソドムの市」の画面は、
ぼくたちにとって単なる視覚情報のひとつでしかなく、
市郎やテレーズに同化・共感するためのものではないですし、
また何か特定思想をアピールするためのものでも勿論ありません。
ですから、
ぼくやあなたが観たまんま、
そのときの気分に従って笑ったり、泣いたり、怖がったりすれば良いのです。
「笑いたい」のに迷って「笑わない」方が損な気がします。
「笑えない」なら「笑わない」でもいいんですから・・・。
また、
「ホラー番長シリーズのくせに、怖くない」という意見もあります。
確かに、
高橋さんが参加した今までの作品より心霊実話テイストは低いものがあり、
同時期に劇場公開された「感染」・「予言」に比べるとホラー映画(恐怖映画)
っぽい仕掛けも少ない。
なので、
「女優霊」や「リング」の感動(恐怖)を期待された方々は面食らっちゃうでしょうね。
でも、
作家の朝松健氏が唱えてらっしゃるように、
ホラーを本来の意味である「畏怖」と訳したとき、
「ソドムの市」はホラー映画として充分に機能しているとぼくは思います。
世の中には訳の判らない、
人知では理解できないものが存在する・・・という超自然的、宇宙的な怖さです。
これは決して、
「ソドムの市」が破綻した、誰にも理解不能な映画だから・・・と茶化しているわけではありません。
映画の頭から終わりまで、その画面情報を収集しつくしたとき、
初めて本当の「ソドムの市」に気付いてしまう、視えてしまうショックがあったからです。
今まで笑ったり、泣いたり、イヤだった・・・画面上の各シーンが、
ジグゾーパズルみたいにピタッとはまり、しかもその完成した絵はエッシャーの騙し絵だったみたいな・・・。
まぁ、
あくまでこのジグゾーパズル的な見方というものは、
最終的にぼくが「視て」しまったものなので、
これが絶対的であるとか、こう視えないのはおかしいと言うつもりはありません
(ぼく自身、「?」と感じたところがありますし)。
何故ならば、
一口で表現できないくらいに底が深いというか、
幅がありすぎて、おいそれとその全貌が捉え難い。
やけにピースが多すぎて、
何の絵が出来上がるのか見当すらつかない巨大なジグゾーパズル。
「群盲象を撫づ」という諺の象・・・のような存在でしょうか、映画「ソドムの市」
(そういう意味では、ぼくも市と等しく盲いた存在なのでしょう)。
今、あなたにとって「ソドムの市」ってどんな映画ですか?
もしかしたら、
もう一度「視て」みると、今までとはちがう映画(印象)になるかも知れませんよ。
そう考えると、
「ソドムの市」は象というよりも鵺なのでしょうね。
「鵺の啼く夜は恐ろしい」は映画「悪霊島」の惹句でしたが、
さしずめ「鵺の笑う世は恐ろしい」ですね、「ソドムの市」。

(文中敬称略)