とりあえず、高橋さんの「二つの体験」に書かれていたユングがアフリカで知ったエルゴン族の話の書き込みを、やや短縮してコピーしますが、ほとんど短くなりませんでした。
「(エルゴン族の老人は)すべては「アドヒスタ」、御来光の瞬間の太陽を礼拝していると言った。この日の出の瞬間のみ、太陽は「ムングウ」、すなわち神であった。紫色の西空にかかる新月の、はじめの微妙な金色の鎌形も、また神である。
しかしそれもそのときだけであって、それ以外のときはなんでもない。(中略)
さらに、昇る太陽(アドヒスタ)のほかに、エルゴン族は大地に棲む「シャイタン」(悪魔)である「アイク」を崇拝していることを知った。アイクは恐怖の創造者であり、夜の旅人を待ちぶせする冷たい風の創造者である。アイクが丈の高い不気味な灌木の茂みをしのび歩くさまを、ありありとあらわすために、老人は災厄の神(ロウキ)のモチーフを口ずさんだ。
人々は一般に、創造主は万物を善く、美しく造ったと考えている。創造主は善悪の彼岸にある。彼はム・ズリ、つまり万物は美しく、彼の造ったものはすべて美しい(ム・ズリ)。
「あなたの家畜を殺した、悪い獣たちはどうか」と私が尋ねると、彼は「ライオンは善良で美しい」と答えた。「では怖ろしい病気のことはどう思うか」と問うと、老人は「あなたは日向で横になる、快晴だ」という。
私にはこの楽天主義が印象的であった。しかし夕暮れの六時ごろになると、この楽天主義は突然消え失せるということが間もなくわかった。日没とともに、別の世界が、つまりアイクの暗黒の世界、悪と危険と恐怖の世界が支配するようになる。楽天的な哲学は消え去り、悪霊への怖れとか、悪から身を守るための呪術的行為がはじまった。夜明けを迎えると楽天主義が戻ってきて、なんの内的矛盾もなかった。
(中略)
この地方の日の出は、日々新たに私を圧倒する出来事であった。劇的だったのは、地平線上に太陽が急に昇ってきたときの光輝よりも、それに続いてひき起こることの方にあった。私は夜明け直前に、キャンプ用の椅子を持ち出して、かさアカシアの下に座る習慣をつけた。私の前には小峡谷の底に、黒い、ほとんど暗緑色のジャングルが細長く横たわり、谷の反対側にはジャングルの上に聳える台地の外輪があった。まず、光と闇との対照がくっきりと鋭くなった。それから緒事物がはっきりとした形をとって光のなかに現れ、光は緊密な輝きとなって峡谷を満たした。谷の上方に見える地平線はまばゆいばかりに白んだ。次第に輝きをましてくる光は諸物の構造にまで透過するようにみえ、諸々の事物は、まるで色ガラスの破片のように、ついには透明に輝きだすほどにまで、内側から輝いてくるようになった。すべてのものは閃耀する水晶に変容してしまう。ベル・バードの鳴き声が地平線のあたりに響き渡った。このような瞬間には、私はまるで寺院の内部にいるような気がした。それは一日のうちの、もっとも聖なる時間であった。私は歓喜して飽くことなくこの光輝を眺めており、むしろ時を超越した恍惚にひたっていた。
(中略)
そのとき私は、人間の魂には始源のときから光への憧憬があり、原初の暗闇から脱出しようという抑え難い衝動があったのだということを、理解した。(中略)光の来る瞬間(瞬間に傍点あり)が神である。その瞬間が救いを、解放をもたらす。
それは瞬間の原体験であって、太陽は神だといってしまうと、その原体験は忘れられてしまう。「今や、悪霊の徘徊する夜が終わったと、われわれは喜ぶのだ」と土人たちが言うとき、これはすでに合理化を意味している。実際には、大地を覆う自然の夜とは、全く異質の暗黒が圧倒している。それは心的な根源的夜であって、数え切れないほどの幾百万年もの昔から、今日と変わることはない。光への憧憬、意識に対する憧憬なのである。」
(『ユング自伝2 ?思い出・夢・思想?』河合隼雄・藤縄昭・出井淑子訳 みすず書房 p.94?96)
宗教話になると俄然、意欲の出るぼくですが、思春期において何らかのビジョンとか宗教的啓示を受けることは、実はかなりの頻度で起きていることなのではないか、と思います。というか、ぼくはそうでした。
人間にとって思春期という不安定期に、またそれ以外の精神の危機・身体の危機の年代に、突如として何者かを見る、聞く、感じ取るということは、耐え難い負荷を精神にかけさせまいとするセーフティとして存在するものなのではないか、そういう体験をすることは風邪をひくことと同じくらい普遍的なものなのではないか、と思ったりします。誰もがそうなるとは思いませんが。
それで思い出したのが、ミルチア・エリアーデ『世界宗教史8』に書かれている北アメリカのオグララ・スー族の個人的な儀礼です。こういうインキュベーション(引きこもり)儀礼というのは、他にも各地にあったと思います。最近、話題の引きこもりですが、ぼくは、儀礼として積極的意義を持つんじゃないかと思っているのです。
「(オグララ族のヴィジョン・クエストの儀礼では)基準となる神学や教義的な信仰条項とったものは存在しないので、誰もが一般に受容されている概念を越えて、自分にとってだけ有効性を持つような自分独自の信仰体系を創りだすことができるのである。このためのもっとも重要な手段はヴィジョン・クエスト(ヴィジョンの探求)である。
若い男たちは、ふつう思春期のあいだに、ヴイジョン・クエストを行うことになっている。というのもこの儀礼は、同時に社会のなかでの彼らの変化た地位を強調するものだからである。その時彼らは、孤独のなかで断食し、祈るために、遠く離れた丘へと出かける。ヴィジョン・クエストをラコタ族の言葉で言うと、ハンブレチヤピ(「ヴィジョンを求める叫び」)であり、これは、ヴィジョンを求める者が、裸になり、髪を乱して、自分が涙をためてへりくだっていることを示し、ワカン=存在の哀れみを懇願しなければならないことを意味している。このようにして彼は、ワカン=存在が自分の祈りに耳を傾けるように、すなわち、ワカン=存在と彼との親類関係を受け入れるように働きかけようとするのである。このとき彼は伝説に示された場所、すなわち、その甘い香りが邪悪を働く力を遠ざけておく聖なる薬草の上に立っている。そこでは、四つの方位が、供物を意味する色のついた布がつけられた杭で示されており、この聖なる場所の内側で、彼は声高々に啓示を懇願するのである。ヴイジョンを求める者は、ワカン=存在が彼と交通することを望むわけである。そして、これが実現すると、彼は、ある特定の使命をはたすために自分が選ばれていたのだということを知るわけである。彼は、具体的な行動の指図を受けるわけではないが、彼のヴィジョンの模範が特定の行動様式や、あるいは特別な義務の引継を決定するのである。こうして彼は、自分が将来、治療者を務めるのか、あるいは、すべてを「逆」に行わねばならないヨカとなるかを決めることができるのである。」
(『世界宗教史8』ミルチア・エリアーデ原案 第四十八章 ペーター・ボルツ著 「サン・ダンス?北アメリカのオグララ・スー族における宗教的世界像と儀礼」)
思春期に起こった心理的な出来事で、その後が決まるという意味では、上に挙げた儀式は、非常に意図的にその事実を具体にしている、と思います。 これと似た話で、一人一人が自分の守護精霊を見つけに行くというものもあったような気がします。ぼくの感覚では選ばれるというか、精霊に半ば強引に選ばされる、ということが分かるような気がします。
例えば、この演出は「何となく違う気がする」というときに、その何となくは、自分が感じるだけのものではない、というようなレベルですが。
ぼくは、はっきりしたヴィジョンを見たわけではなくて、ただどうしようもなく人間と世の中が怖くて、誰とも話しが出来なくなったときに、部屋の中で、上の方から自分の背後を通って何かが還ってきた、ついに許された、と思ってしまったときがありました。そう思ってしまった、というのはかなりの抵抗をその感覚に対して自分でしていたからなんですけど、でも、そうなんだ、これから善くなっていく救われるんだ、と思ってしまう。で、しばらく、自分と上の方とのルートが開いたと思っていて、頭の中で天上の音楽が響きわたったりするんですね。ああ、これはおかしいな追い詰められてるな、と脳の片隅で思うんですが、どうもそうなってしまう。そのことが起こりうるんだと思うと、もう何だか理性では嫌だなと思
うんですけど、でも心の方では歓迎しているという、ことがありました。
で、後から守護精霊を見つけるというような話を読んで、ああ、これに近いことなのか、と思ってやや納得したのでした。
「質問」 にいや
という事は、高橋さんと僕は違う守護精霊に憑かれてるのかもしれませんね。
垂直軸の精霊と、水平軸の精霊と。で、氏原君が許されたと思ったときの何者か、というか、いわば氏原君に憑いた守護精霊はどんなんでしょう。言語化できる物なんでしょうか。それによって、なにかが変わったんでしょうか。良ければ聞かせて下さい。
とまあ、こんなふうに既成の文章に返信をくっつけても良いです。まあ、あまり長い文章じゃ読みにくくなりますが。「新 屋根裏部屋」程度の応酬なら、この形式でも良いのではないでしょうか。ただ、誤って先の文章を消さないで下さいね。
高橋さん的には、きちんとスレッドにしたいらしいんですが、管理人の瀬田さん多忙のため、BBSの構造自体がいじれないのです。まあ暫定的にこれで行ってみましょう。タイトル部分、氏原君のタイトルと並べてにいやのタイトルを表記してみましたが、こういう部分に関してもみんなで色々工夫して行きましょう。
「(エルゴン族の老人は)すべては「アドヒスタ」、御来光の瞬間の太陽を礼拝していると言った。この日の出の瞬間のみ、太陽は「ムングウ」、すなわち神であった。紫色の西空にかかる新月の、はじめの微妙な金色の鎌形も、また神である。
しかしそれもそのときだけであって、それ以外のときはなんでもない。(中略)
さらに、昇る太陽(アドヒスタ)のほかに、エルゴン族は大地に棲む「シャイタン」(悪魔)である「アイク」を崇拝していることを知った。アイクは恐怖の創造者であり、夜の旅人を待ちぶせする冷たい風の創造者である。アイクが丈の高い不気味な灌木の茂みをしのび歩くさまを、ありありとあらわすために、老人は災厄の神(ロウキ)のモチーフを口ずさんだ。
人々は一般に、創造主は万物を善く、美しく造ったと考えている。創造主は善悪の彼岸にある。彼はム・ズリ、つまり万物は美しく、彼の造ったものはすべて美しい(ム・ズリ)。
「あなたの家畜を殺した、悪い獣たちはどうか」と私が尋ねると、彼は「ライオンは善良で美しい」と答えた。「では怖ろしい病気のことはどう思うか」と問うと、老人は「あなたは日向で横になる、快晴だ」という。
私にはこの楽天主義が印象的であった。しかし夕暮れの六時ごろになると、この楽天主義は突然消え失せるということが間もなくわかった。日没とともに、別の世界が、つまりアイクの暗黒の世界、悪と危険と恐怖の世界が支配するようになる。楽天的な哲学は消え去り、悪霊への怖れとか、悪から身を守るための呪術的行為がはじまった。夜明けを迎えると楽天主義が戻ってきて、なんの内的矛盾もなかった。
(中略)
この地方の日の出は、日々新たに私を圧倒する出来事であった。劇的だったのは、地平線上に太陽が急に昇ってきたときの光輝よりも、それに続いてひき起こることの方にあった。私は夜明け直前に、キャンプ用の椅子を持ち出して、かさアカシアの下に座る習慣をつけた。私の前には小峡谷の底に、黒い、ほとんど暗緑色のジャングルが細長く横たわり、谷の反対側にはジャングルの上に聳える台地の外輪があった。まず、光と闇との対照がくっきりと鋭くなった。それから緒事物がはっきりとした形をとって光のなかに現れ、光は緊密な輝きとなって峡谷を満たした。谷の上方に見える地平線はまばゆいばかりに白んだ。次第に輝きをましてくる光は諸物の構造にまで透過するようにみえ、諸々の事物は、まるで色ガラスの破片のように、ついには透明に輝きだすほどにまで、内側から輝いてくるようになった。すべてのものは閃耀する水晶に変容してしまう。ベル・バードの鳴き声が地平線のあたりに響き渡った。このような瞬間には、私はまるで寺院の内部にいるような気がした。それは一日のうちの、もっとも聖なる時間であった。私は歓喜して飽くことなくこの光輝を眺めており、むしろ時を超越した恍惚にひたっていた。
(中略)
そのとき私は、人間の魂には始源のときから光への憧憬があり、原初の暗闇から脱出しようという抑え難い衝動があったのだということを、理解した。(中略)光の来る瞬間(瞬間に傍点あり)が神である。その瞬間が救いを、解放をもたらす。
それは瞬間の原体験であって、太陽は神だといってしまうと、その原体験は忘れられてしまう。「今や、悪霊の徘徊する夜が終わったと、われわれは喜ぶのだ」と土人たちが言うとき、これはすでに合理化を意味している。実際には、大地を覆う自然の夜とは、全く異質の暗黒が圧倒している。それは心的な根源的夜であって、数え切れないほどの幾百万年もの昔から、今日と変わることはない。光への憧憬、意識に対する憧憬なのである。」
(『ユング自伝2 ?思い出・夢・思想?』河合隼雄・藤縄昭・出井淑子訳 みすず書房 p.94?96)
宗教話になると俄然、意欲の出るぼくですが、思春期において何らかのビジョンとか宗教的啓示を受けることは、実はかなりの頻度で起きていることなのではないか、と思います。というか、ぼくはそうでした。
人間にとって思春期という不安定期に、またそれ以外の精神の危機・身体の危機の年代に、突如として何者かを見る、聞く、感じ取るということは、耐え難い負荷を精神にかけさせまいとするセーフティとして存在するものなのではないか、そういう体験をすることは風邪をひくことと同じくらい普遍的なものなのではないか、と思ったりします。誰もがそうなるとは思いませんが。
それで思い出したのが、ミルチア・エリアーデ『世界宗教史8』に書かれている北アメリカのオグララ・スー族の個人的な儀礼です。こういうインキュベーション(引きこもり)儀礼というのは、他にも各地にあったと思います。最近、話題の引きこもりですが、ぼくは、儀礼として積極的意義を持つんじゃないかと思っているのです。
「(オグララ族のヴィジョン・クエストの儀礼では)基準となる神学や教義的な信仰条項とったものは存在しないので、誰もが一般に受容されている概念を越えて、自分にとってだけ有効性を持つような自分独自の信仰体系を創りだすことができるのである。このためのもっとも重要な手段はヴィジョン・クエスト(ヴィジョンの探求)である。
若い男たちは、ふつう思春期のあいだに、ヴイジョン・クエストを行うことになっている。というのもこの儀礼は、同時に社会のなかでの彼らの変化た地位を強調するものだからである。その時彼らは、孤独のなかで断食し、祈るために、遠く離れた丘へと出かける。ヴィジョン・クエストをラコタ族の言葉で言うと、ハンブレチヤピ(「ヴィジョンを求める叫び」)であり、これは、ヴィジョンを求める者が、裸になり、髪を乱して、自分が涙をためてへりくだっていることを示し、ワカン=存在の哀れみを懇願しなければならないことを意味している。このようにして彼は、ワカン=存在が自分の祈りに耳を傾けるように、すなわち、ワカン=存在と彼との親類関係を受け入れるように働きかけようとするのである。このとき彼は伝説に示された場所、すなわち、その甘い香りが邪悪を働く力を遠ざけておく聖なる薬草の上に立っている。そこでは、四つの方位が、供物を意味する色のついた布がつけられた杭で示されており、この聖なる場所の内側で、彼は声高々に啓示を懇願するのである。ヴイジョンを求める者は、ワカン=存在が彼と交通することを望むわけである。そして、これが実現すると、彼は、ある特定の使命をはたすために自分が選ばれていたのだということを知るわけである。彼は、具体的な行動の指図を受けるわけではないが、彼のヴィジョンの模範が特定の行動様式や、あるいは特別な義務の引継を決定するのである。こうして彼は、自分が将来、治療者を務めるのか、あるいは、すべてを「逆」に行わねばならないヨカとなるかを決めることができるのである。」
(『世界宗教史8』ミルチア・エリアーデ原案 第四十八章 ペーター・ボルツ著 「サン・ダンス?北アメリカのオグララ・スー族における宗教的世界像と儀礼」)
思春期に起こった心理的な出来事で、その後が決まるという意味では、上に挙げた儀式は、非常に意図的にその事実を具体にしている、と思います。 これと似た話で、一人一人が自分の守護精霊を見つけに行くというものもあったような気がします。ぼくの感覚では選ばれるというか、精霊に半ば強引に選ばされる、ということが分かるような気がします。
例えば、この演出は「何となく違う気がする」というときに、その何となくは、自分が感じるだけのものではない、というようなレベルですが。
ぼくは、はっきりしたヴィジョンを見たわけではなくて、ただどうしようもなく人間と世の中が怖くて、誰とも話しが出来なくなったときに、部屋の中で、上の方から自分の背後を通って何かが還ってきた、ついに許された、と思ってしまったときがありました。そう思ってしまった、というのはかなりの抵抗をその感覚に対して自分でしていたからなんですけど、でも、そうなんだ、これから善くなっていく救われるんだ、と思ってしまう。で、しばらく、自分と上の方とのルートが開いたと思っていて、頭の中で天上の音楽が響きわたったりするんですね。ああ、これはおかしいな追い詰められてるな、と脳の片隅で思うんですが、どうもそうなってしまう。そのことが起こりうるんだと思うと、もう何だか理性では嫌だなと思
うんですけど、でも心の方では歓迎しているという、ことがありました。
で、後から守護精霊を見つけるというような話を読んで、ああ、これに近いことなのか、と思ってやや納得したのでした。
「質問」 にいや
という事は、高橋さんと僕は違う守護精霊に憑かれてるのかもしれませんね。
垂直軸の精霊と、水平軸の精霊と。で、氏原君が許されたと思ったときの何者か、というか、いわば氏原君に憑いた守護精霊はどんなんでしょう。言語化できる物なんでしょうか。それによって、なにかが変わったんでしょうか。良ければ聞かせて下さい。
とまあ、こんなふうに既成の文章に返信をくっつけても良いです。まあ、あまり長い文章じゃ読みにくくなりますが。「新 屋根裏部屋」程度の応酬なら、この形式でも良いのではないでしょうか。ただ、誤って先の文章を消さないで下さいね。
高橋さん的には、きちんとスレッドにしたいらしいんですが、管理人の瀬田さん多忙のため、BBSの構造自体がいじれないのです。まあ暫定的にこれで行ってみましょう。タイトル部分、氏原君のタイトルと並べてにいやのタイトルを表記してみましたが、こういう部分に関してもみんなで色々工夫して行きましょう。