多田遠志さん_ソドムの市早わかり3_映画: 高橋洋の『ソドムの市』 | CineBunch

「ルーフトップ 9月号」より
『ソドムの市』監督:高橋洋

 

 色々な所で繰り返し言っているけれども、自主映画臭さは好きではない。それはその手の映画が作り手のナルシシズムの結露である、というところに由来しているから、なのだろう。オマエの欲望なんか知りたくない、と。しかしこの「ホラー番長」のために作られた高橋洋の『ソドムの市』を観て、自分のその偏見を改めざるを得ない、と思ったのである。タイトルから皆が連想するのはサドの『ソドム120日』をパゾリーニが映画化した『ソドムの市』であろう。しかしさにあらず、この「市」は「座頭市」の市なのである。志ある人には既にケッ作の臭いが香ってきたことと思うが、「へー、じゃあメクラの話なのね」と観ながら何とかカテゴライズして、心安らごうとするこちらの意図を嘲笑うかのように次々と異なる分子を取り込みながら、話はワケの判らない方向へと転がっていくのだ。

 時代を越えた女中の怨念が黒魔術含みの陰謀へまろび出し、魔人イチの国際的犯罪が『一杯のかけそば』へと雪崩を打っていく。自己の出世作である『リング』のパロや、古今東西の映画のクリシェのみで創られた、「どっかで観た事ある」シーンだらけではあるものの、それを繋ぐ陰謀史観的モチーフ、重厚なストーリーなのに軽い台詞...という辺りはやはり高橋洋の確かな作家性がうかがえる。

 クリシェまみれの映画というと真っ先に思い出されるのはタラ公の『キル・ビル』だが、それさえもあっさりと内包していってしまうワケの判らない底の深さのある作品である。誰がカツ丼を通じて結成された秘密結社→金玉引き出し拷問を経て、お台場がデビルマンのクライマックスのような地獄絵図になると想像できようか。

 プロの映画作家たちが、インディーズ的な企画をやる、という最近の風潮は余り好きではなかった(『刑事まつり』とかね)。しかしこの作品を観た事により、一概に決めつけてはならないと感じた。確かに演技はへぼいし、特殊効果も最低で近年稀に見るピアノ線見えまくり。しかし、だから何だってんだ! という高橋の「我」の主張が圧倒している。面白すぎる奴のナルシシズムなら、「アリ」なのだ。


(多田遠志・LOFT/PLUS ONE STAFF) 
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