今話題の映画『ソドムの市』。その撮影秘話をスタッフの一人に証言してもらった。今回インタビューしたのは「ソドムの市」美術スタッフの一人。本人の希望により名前は伏せ、Aさんとする。Aさんは今回のインタビューをなかなか承諾してくれなかった。彼は今も映画業界に身を置いており、映画製作の内幕を暴露する事は自らの信念に反すると考えていたからだ。しかし粘り強く何度も交渉し、ようやく了解を得る事が出来た。今回のインタビューを行う場所は、彼が指定してきた新宿ゴールデン街の2坪程の小さなバー『紗麗人』。Aさんはハンチング帽を目深に被り、約束の時間に少し遅れてやって来た。
A「ママ、いつもの。」Aさんは出されたハイボールを一息で飲み干すと、煙草に火を付けた。「Aさん今回は我々の無理なお願いをきいて頂いて本当にありがとうございました。」Aさんは無言のまま2杯目のハイボールをちびりちびりとやりはじめた。「今回は映画『ソドムの市』について色々とお話を伺えればと思うのですが...」Aさんは何も言わず2杯目のハイボールを飲み干し、煙草の煙を大きなため息とともに吐き出した。A「色々、あったよ...」Aさんは遠い眼をしてそっと呟いた。その顔はまるで過酷な戦場から帰還した兵士のように見えた。私がその事をAさんに伝えると、Aさんはフッと笑みを浮かべ、A「...あたりまえや。『映画は戦場だ』っていう名言、お前知らへんのか?サミュエル・ホイの...」私は彼の間違いを指摘しようかと思ったが、敢えて「知らない」と答えることにした。A「しょうがねぇなぁ、最近の若ェ奴は...」そう苦笑いを浮かべながらAさんは私にもハイボールを御馳走してくれた。酔いとともに舌が回ってきた彼は、その後少しずつソドムの市の撮影秘話を語り出した。A「あれは...まだ寒さの厳しい2月の終わりの事やった...」

火炎放射器をテストする、山本隊長
1、ソドムのヅラ問題
「まず最初にワシら美術班がとりかかったのが子供時代のソドムが被るヅラ作りやった。事前の打合せで10円ハゲがあるような坊主頭がエエと高橋キャプテンがゆうてな、ホンマやったらカツラっちゅうのは美術班の仕事やのうてメイク班の仕事なんやけどな、金も時間もあれへんから仕方なくワシらが作る事になったんや。ワシらカツラなんぞいっぺんも作った事あれへんしな、そもそも制作費が一銭もあれへんのや。どないせぇっちゅうねん。
でもそん時美術班の班長の山本はんがジョイアートっちゅう美術会社の社長はんに頭下げてな、禿げヅラと人工毛をただでもろたんや。おまけに作業場まで貸してもらってな、なんとか作る事ができるようになったんや。わしらにギャラなんぞあれへんからな、昼間はバイトして金稼ぇで、夜中になってからジョイアートさんの作業場で作業したんや。ちょうどその頃ジョイアートさんでは大作映画の準備を社員のみなさんがやっとってな、ワシらソドム美術班はその邪魔になれへんよう隅っこの方でひっそりとヅラを作っとったんや。肩身の狭い思いをしたなぁ...。
人口毛を鋏で短く切っては接着剤で禿げヅラに貼り付け、延々とその作業を繰り返して坊主頭のヅラを作っていったんやけどな、何百回とその作業を繰り返すうちに途中でだんだんと飽きてきてな、途中から適当に人口毛を貼り付けてたらな、まだらになってしもたんや。頭のあちこちに禿が出来たような無残な髪型や。こりゃ、えらいことになってしもた...って気づいたときにはもう遅かった。
ワシ頭抱えたわ。で、そんな時に限って運悪く山本班長が様子見にきたんや。ワシャ、すぐに土下座して「すんまへん。今すぐに作り直しま!」言うたら、山本班長何て言うたと思う?真顔のままじっとワシが作ったヅラを見つめて「すばらしい...」ってぼそっと言うたんや。しかも近くにあった赤いマジックでまだらに出来た禿の部分を真っ赤に塗りつぶしていくやないか。禿の部分が炎症で爛れたような色になって、ただでさえ無残な禿げヅラが、なんか...狂犬病に罹った汚い野良犬みたいな髪型になってしもうた。ワシャ、この人頭オカシイんやないかって思ってぼけっとしとった。山本班長が言うには、「市は先祖が犯した罪によって、深い業を背負ってこの世に生まれてきた。そのような宿命の人間はきっと生まれつき狂犬病に罹ったような頭をしているに違いない。このヅラは業の深さを的確に表現している。」ということやった。真顔やった。わしは 「ホンマにええんですか?」と聞いた。「いい。高橋キャプテンもきっと大喜びだぞ。」と山本班長はワシの肩を叩いた。ワシは不安やったが山本班長の言葉に少し勇気づけられた。すでに夜中の12時を過ぎとった。
で、翌日。ヅラの着合わせ。ワシは皆の失笑と冷笑を一身に浴びせられることとなった。高橋キャプテンも「一体なんなんだこのうす汚ねえカツラは!」とでもいうかのように困惑した苦笑いを浮かべていた。狂犬病のヅラなどだれにも求められてなんかいなかったんや。しかもワシ等は決定的なミスを犯していた。...サイズが小さいんや。ぜんぜんかぶられへん。ソドム役の浦井はんの頭は想像以上にデカかった。で、あっさり却下。わしは逃げるようにしてその場を立ち去った。安里参謀長の「本当にこの人に美術をまかせて大丈夫なのか」っていう不審の目が怖かったんや。ワシはひたすら走った。思い出すだけで胸が引き裂かれそうやった。そのまま旅に出てしまおうかとも思った。でも...気がついたらワシは作業場に帰ってきてた。山本班長が「...どうやった?」って聞いてきた。ワシは「...玉砕です」って声を詰まらせながら言った。班長はフッと優しい笑みを漏らし、「...そうか。よくやったな。ナイスファイトだ。」といってワシの肩を抱きしめてくれた。ワシは泣いた...。その日、いつもの帰り道が少し違って見えたっけ...。」
結局、子供時代のソドムのヅラは現場でチーフ助監督の安里氏があっさりと作ってしまったそうだ。Aさんは全くもって無駄な労働をしたこととなった。ノーギャラで。ソドムヅラ問題によって始まった映画「ソドムの市」の撮影。それはその後延べ三ヶ月間に渡る撮影の中で発生した様々な問題、混乱を象徴するような幕開けであったといえる。この後、これと似たような思い込み、スタッフの勝手な妄想、そして暴走、すれ違いなどがソドムの市の撮影現場を混乱へと導いていったのだ。ワンシーン、あるいはワンカットごとにカメラの背後ではスタッフたちの演じるもうひとつのドラマが常に繰り広げられており、Aさんはその一つ一つを熱っぽく語ってくれたのだが、あまりにもくだらない話ばかりだったので割愛させていただく。しかし、くだらないといっても本人たちはいたって真剣なのであり、本気でやった結果が傍から見るとあまりに滑稽であるというのは映画制作の正しい姿勢であると筆者は思っている。とは言ってもやはりそのひとつひとつのエピソードを語っていてはきりがないので、ひとまずここではAさんが語った話の中で筆者が印象に残ったものをランダムに紹介することにする。
新谷特効隊長との思い出
「新谷はんゆうのはソドムの市で近藤はんっちゅう左翼ゲリラみたいな顔の人と一緒に特殊効果を担当した御仁でな、この人がまぁ...なんちゅうかどてらい奴とでもいうようなダイナマイトな人間なんですわ(笑)偶然ワシが仕事しとったジョイアートっちゅう会社のすぐ近くに住んではって、ようお互い行き来しとったんですわ。まー、なんでもダンボールで作ってしまうという特殊な技術をもっておられる人で、こちらが小道具を一体どうやって作ればいいのだろうかって真剣に悩んでいると、「そんなもんダンボールで作ったたらええんよ。」といういささかなげやりで暴力的な答えが決まって返ってくるんですわ。とにかく物凄いエネルギーを常に放出し続け、周囲を圧倒するようなバイタリティーの持ち主やね。ソドムの市には川原に住む野良人の役で出演してはるけど、あれは素やからね。あんな人ですわ、普段から。怪人ですわ。

徐々に荒廃していく、新谷の部屋
ジョイアートというワシ等が仕事させてもらってた会社に新谷さんがママチャリこいで、ダンボールで作った得体の知れぬ小道具抱えていつも来はってな、ずかずかと会社の中に入ってきて、小道具の説明を大声でまくしたてて、ほんでまたママチャリに乗って去っていくんやけどな、ジョイアートの社員の人等は怪訝な目でいつも見とったわ。「あの人一体何者なんですか?」ってワシよう聞かれたもん。そのたびに「あの人は少し変わってますが、凄い人なんですよ。」って説明しとった。「何がどうすごいんですか?」と聞かれるんやけど「...存在自体が」としか説明する術はなかったな。そんな新谷はんも撮影当初は「ダンボールはただで手に入るからな。こんなエエ材料は他にないで。」などと嬉々としてダンボール小道具を作り続けてたけど、撮影後半になると膨大な量のダンボールの在庫を自室に抱え込んで徐々に部屋が荒廃してゆき、来る日も来る日も時には徹夜でダンボールと格闘しているうちに徐々に顔がやつれ始め、肌につやを失い、いつもは異常なまでに張りのある声も弱々しくかすれ始めてな、ある日新谷はんの部屋を訪ねたら身動き取れないほどのダンボールの山に取り囲まれた薄暗い部屋で、少し放心したようなため息とともに「悪夢や...」と言ってはりましたからな。さすがの新谷はんもくたばりかけてましたわ。ソドムの市おそるべし、ですわ。
地蔵堂のハリボテやその内部のセット、ソドム城のミニチュアや井戸など美術的に重要な部分を新谷はんがダンボールで作ってくらさったんや。ダン ボールやと言われなければ分からんくらいハイクオリティーでっしゃろ?ジョイアートのプロの美術さん達も驚いてはったわ。せやけどなそんな新谷美術のなかでも最もプロを驚かせたものがあったんや。なんやと思う?映画見てても絶対気づかへんと思うけどな。...実は、結婚式場のシーンでテーブルの上に乗っている料理の一部に新谷はんが発砲スチロールで作ったサンドイッチが置いてあるんや。全く映ってへんと思うけどな。サンドイッチを発砲スチロールで作るって、ワシすごい発想やと思うわ。パンで作ればええやん。パンより安く作れる、って豪語してはりましたわ。そのスチロール製のサンドイッチ、パンで作ったものより画的に力があるというか、笑えるんですわ、たたずまいが。それは劇中に出てくる鳩も同じで、本物よりも何かこう、訴えてくるものがあるんですわ、見ているほうに。本物より力があるんですわ...。くやしいですが、美術的にオイシイとこはほとんど新谷はんに持っていかれたような気がします。」

ビル街のカラーコピーを、段ボールに貼付けただけの特撮セット
B撮影の日々
「ソドムの市はA撮影、B撮影って二回に分けて撮影されてたんや。A撮影は約二ヶ月間に渡って週だいたい三回くらいのペースで撮影してった。まぁ、スタッフやキャストも他に仕事をやりながら撮影に参加してたからな、安里参謀長がスケジュールをうまいこと調整して少しづつ撮影を消化していったんや。A撮影はそういった自主映画的な撮影スケジュールやったからこちらも働きながら生活費を稼いでなんとかやりくりしてったけど、B撮影は約十日間ほど、毎日撮影やからね。しかも、二ヶ月間A撮影をやった後やったから、しんどかったわ。正直B撮影に入るときは半分燃えつきとったわ(笑)。十日間の撮影の間全日、ワシ作業場に泊まりこんどったんや。ほんまに一日も家帰れへんかった。汚い話、風呂もほとんど入ってへん。地獄や。
B撮影の間は石谷参謀補佐官も美術車両の運転をしとったからな、ほぼ毎日、駐車場にハイエース停めてその中で生活しとった。ワシは夜十二時ぐらいまで翌日の準備をして、二時間ほど仮眠して、また作業して、夜が明けたら荷物をハイエースに積み込んで、寝ている石谷君を起こして、そのまま現場に行く、っちゅう毎日やったな。現場に向かう途中のハイエースの中では石谷君と二人で愚痴ばかり言っとった。「高橋キャプテンは一体何を求めているのかわからん」とか「こんな製作体制は人権蹂躙や」とか「早く終わらへんかな。終わったらソドムのことは完全に忘れて旅に出たい」とかいろんなことゆうとった。でも、いつもなんだかんだ言って「この映画はきっと凄い作品になる。だからもう少し頑張ろう。」という結論に至るんやな。ほんまやで。肉体も精神もぼろぼろやったが、何か言い知れぬ高揚感というか期待感のようなものはあったんや。でもやっぱり、「ひょっとしてこの撮影って永遠に終わらへんのやないか」ちゅう悪夢のような不安のほうがおおきかったかな。正直、B撮影の後半のほうはワシも山本班長も肉体的に限界にきとった。夜中に仮眠をとってそのまま朝まで起きられへんようになってたわ。せやからそんな時は現場で大慌てで作り物をしとった。ソドム一味の持つ仕込み杖などは本当はワシが前日までに作っておく予定やったのが、寝てしまって、ほとんど手をつけぬまま現場に行き、現場で古谷、大門、矢野、江口さんら優秀な美術応援部隊や、新谷、近藤特撮部隊の協力によって作ってもらったんや。

『ソドム』美術応援部隊、左より古谷、大門、矢野、江口
ワシは撮影が進むにつれて何か憑かれたみたいになって‥イってしまって たな。現場でミスしてもニヤニヤしてたような気がするな。夜、誰もいない作業場で一人ブツブツなんかよう喋ってたわ。頭オカシくなってたんやろな。レンタカーのハイエースに白のペンキを大量にこぼしてしまったり、ジョイアートのパソコンをおかしくしてしまったりとか色んなミスが重なって、しかも準備が連日大変で、辛くて苦しくて、本当に高橋キャプテン殺したろかって思ってたわ(笑)。なんで私ばかりこのような、つらいおもいをせにゃならん、って毎日心の中で歌っとった。まぁ、今となってはキャプテンに感謝しとるけどな...。
撮影の断片的な思い出
「こうやって久しぶりに台本を読み直すと、色々と思い出すなぁ...。荒野の土煙‥ほんまは小麦粉やらはったい粉を使うんやけど金がなくて泥絵の具の粉をぶちまけてたんや。スタッフ、キャスト砂まみれにしてしもてな、みんな不愉快そうな顔しとった。石の墓標もひび割れの仕掛けがややこしいことになっとってな、どうしても天辺を木の棒で支えとらんと発泡スチロール製やから風にあおられて立たんようになってしまって、でもそん時もカメラの小暮はんが、うまいこと支えの棒を見えんように画を切ってくれてな。「別にいいんじゃない」とか「まぁ、そんなんでいいんじゃない」といった小暮はんの一見投げやりに聞こえるがその実、投げやりな言葉。そして美術の粗をフォローしてくれる的確なカメラワークに撮影中何度も助けられたわ。
ソドム城の撮影や井戸の特撮ではロケセットに回収不能なほどのスチロールの雪を撒き散らし、山川さんや橋詰さんらに迷惑をかけた。橋詰さんの屈託のない笑顔には癒されましたわ。ソドム車の屋根の砲塔を単なる自己満足の為にリモコン式で動くように作って、そのリモコン操作のためにかえって撮影に時間がかかってしまったりしたなぁ。ソドムホームページでキャプテンに褒められてた魔方陣もワシは偉そうに指示してただけで実際に作業してくれたのは応援部隊の矢野さんや大門君なんや。
キャサリンが棺桶から起き上がる仕掛けは寸前まで方法論が分からなくて、ぎりぎりでなんとか仕掛けが完成し、新谷はんや応援の古谷君と汗だくになりながら台の下に潜んでキャサリンを持ち上げたな。ほんまにうまくいってよかった。

キャサリンの棺の下には、6名の美術部員が入っていた
泡を吹く柴野は新谷はんの発案でメレンゲを使って泡を作ったんや。あまりにまずいメレンゲに「精子の味がする」と言って涙目になりなる柴野はんに「砂糖入れたからもう大丈夫だから」といって強制的にメレンゲを飲ませたった。「やっぱだめだー」とか言って嗚咽しながら吐き出す柴野はん、おもろかったな。
ウォルフのニューヨーク事務所。セットを廃材使って作ったのに、ダサいとかニューヨークに見えないとか言って皆の失笑を買った。くやしかったなぁ。 あまりに何度もロケ場所として使われる映画美学校。最初は別場所に見えるよう装飾して努力してたんやけど、だんだんと手が無くなって装飾が粗末になっていってな。それとか時間がなくて作り物がひどい出来になってしまったときに照明班の根本はんのライティングに助けられた。いつも現場ですんまへんなゆう て感謝しとったわ。ただでさえ酷い美術が、もし照明がなかったら‥目も当てられんような有様になってましたわ。照明って相当重要でっせ。

ニューヨーク事務所の舞台裏
蛇吉の金玉をどのように作るかについて夜中に延々と議論したな。金玉は新谷はんが作る予定やったんやけどな、うまいこといかんくて、ワシも時間的に作る余裕があれへんでな、一体誰が金玉を作るのかという金玉問題が発生してな、夜中にスタッフと高橋キャプテンが集まって議論したんや。女性の安里はんが「金玉どうしますか?」とまじめな顔で言えば高橋キャプテンも「金玉はとても重要だ」と力を込めて言うし、議論は紛糾してついには石谷はんが「ぼくの毛を提供します」と言い出す始末や。結局、みんな高橋キャプテンの支払いでタクシーで帰ることになったんや。金玉は応援部隊の木幡はん堀尾はんの二方が作ってくらはった。このお二方は後にソドムの市とほぼ同じスタッフで撮影した安里キャプテンの「地獄小僧」でも素晴らしい特殊メイクを冗談のような安いギャラでやってくれはった。ほんまに感謝しております。金玉も結局ただで作ってくれはりました。ほんますんません。
ほんで最後に出てくるあのガイラ飛行隊の例の乗り物やけどな。言ってしまってもええんかな?言わんほうがええか。あいつは制作費一万円で安っぽい内部のセットを作ったんや。ただあまりにも図体がデカくてな、正直撮影的には不評やった。撮りづらいってな。でも、その分ミニチュア撮影のほうはすばらしい出来やったと思うわ。新宿ビル街の書き割りを作ってな、それはビルの写真を引き伸ばして厚紙に張っただけのもんなんやけど、スモークとサーチライトを焚いてな、上空をあいつが...ここまで言うと分かってしまうな。出来上がった画を見て感動したわ。あのビルの書き割りは全部パースが狂っとるんや。もともとのビルの写真が下から上に向けて仰角で撮った写真やったからな、遠近法で上のほうが細くなってしまってるんや。しかもそれぞれのビルが別のアングルで撮られてるから、ひとつひとつがいびつに歪んだ形になってしもてるんや。でもな、そのパースが狂った感じがシュールで異常な画の迫力を生んだと思うんや。あのビルの書き割りは言うてみれば失敗作やったかも知れへんけどな、結果的にそれが今までに見たこともない異様な画を作ることになったんや。失敗から新たな発見が生まれるという経験は貴重やったな。あれはワシがソドムの市で一番好きなカットの一つや。」

B29製作指揮をとる、山本隊長
高橋キャプテンの事
「現場での高橋キャプテンは極めて紳士的やった。怒鳴ることもないし、感情的に不安定になることは一切なかった。演出は少し変わっとったな。演技を自分でやってみせるんや。これが異常なテンションの演技でな。ソドムの市は素人の人間がようけ出演しとったけど、まぁ何やらせても高橋キャプテンが一番うまかったな。そりゃ、自分でホン書いてはったから自分が一番わかってはるんやろ。それにそもそも求める演技が常人には理解できんような異常なものやったからな。でも、的確やったと思うわ。常人には理解できん、ゆうのは一つのキーワードやったな。 高橋キャプテンの思惑とワシ等スタッフの考えがすれ違うことがぎょうさんあったわ。
例えば松村博士の書くメモをワシが作ったとき。ワシは4:3の画面のこと考えて撮りやすいようにA4横書きで作っていったんやな。それが撮影中高橋キャプテンが浮かぬ顔しとるんや。後で聞いたら「メモはA4縦書きじゃないといけないんだ」と言いはった。何でですかと聞いたら「A4横書きでは正常な人間が書いたとしか思えない、狂気に駆られた人間はA4縦書きで書くんだ。」というようなことを言わはった。言われてみるとそんな気がしなくもないが、言われなければわからないことやった。そういった微妙なこだわりが多くあった。
ワシが勝手な思い込みで小道具を作っていって高橋キャプテンの思惑と合わず却下、あるいは作り直しというパターンがたびたびあったわ。それゆえワシは徐々にキャプテンの意図を汲み取ろうと慎重になっていったんやけど、そうやって細かいところをキャプテンに確認したりすると「なんでもいい」とか「簡単なもんでいい」って言うんや。どうやら、キャプテンの中で異常に思い入れがあるものとどうでもいいものがはっきり区別されてるらしいんやけど、ワシらにはその境界線が分からんのやな。こちらがこだわって作っていくとキャプテンはどうでもいいって言うし、こちらがこんなもん適当でええやろと思って作ってくと、実は強い思い入れがあったりと。そういったすれ違いがよくあったなぁ。
スピーカーは四角ではなくて丸じゃないといけないとか、乳母車は戦艦ポチョムキンに出てくるようなレトロなもんがいいとか。正直「なぜそこにこだわる」と思うことが結構あったな。ワシはその辺で結構混乱しとった。
ワシのなかで混乱のピークやったのが魔方陣を作ったときや。はじめキャプテンは漫画「悪魔くん」に描かれた魔方陣の絵をワシに見せて、「こんなんがいい」っていいはった。それはデザインとしてはとてもシンプルなもので円の中に数字が書いてあるくらいの簡単な図案やった。ワシは「こういうシンプルな形のものでいいんですね」と言ったらキャプテンは「それでいい」っていいはったんや。大変なものは求めていない、と。ワシは作業が楽になって正直ほっとした。ところが数日後、魔方陣撮影の数日前になって突如ワシのとこにファックスが届いた。そこには「やはりこちらの図案に変えてほしい」という言葉とともに、アグリッパの恐ろしく複雑な魔方陣の図案が描かれてるやないか。ワシは目を疑った。大変なものは求めてないってゆうたやん!一応確認のためキャプテンに電話し、「これは複雑なデザインですが、手書き風の簡単なものでいいんですか?それとも丁寧に描かれてたほうがいいんですか?」と聞いた。するとキャプテンは「丁寧に描いたものですね。」と即答した。まぁ、確かにあの図案は魅力的ではあった。

画的に強くなるのは確かや。ワシは釈然としない思いもあったけど、ソドムを傑作にするためや、って気持ち切り替えて作業に取り掛かったわ。普通の監督の場合やったらそういった好みや傾向が撮影が進むにつれてなんとなく分かるもんなんやけどな、高橋キャプテンの場合は全く分かれへんかった。でも、後々キャプテンの意図を聞くと、なるほどと思うことが多かった。真っ当なこと言うとるって思ったわ。
ニードルガンの針は刺さると痛そうなくらい鋭利に尖ってなくてはならない(安里が蛇吉を殴る金属バットはおもちゃでもいいが)とか、金玉はつぶれて痛さを感じるぐらいリアルに出来てなくてはいけない(渋谷が飛ばす鳩はあからさまに作り物でもいいが)とか。普段のプロの現場では映画的に成立していればいいとか、記号として観客に理解されればいいといったレベルの考えに流されることも多いけど、キャプテンの場合は真に観客に痛みや苦しみを伴ったイメージを伝えるにはどうすべきか、というところまで要求していたような気がするな。リアルということとリアルを超えたシュールな表現というものがソドムの市には混在してて、その象徴が金玉と鳩の作り物の違いというような気がするなぁ。なんかよう分からんけど...。まぁ、総体的に見ればこの作品は美術費もほとんどあれへんし、時間もないしで美術的にはあの程度のもので妥協しとったというか、開き直ってただけなのかもしれへんけどな。
「最終的には美術はどんなものでもいい。とにかく現場で待たされるのだけは嫌だ。」って言うてはりましたわ。難しいですな。」
撮影最期の日
「撮影最終日はとにかく無茶苦茶やったな。ある意味清々しいというか、爽快なくらい無茶苦茶やった。朝の6時に集合して翌朝10時くらいまで撮影しとったからな。ワシ、途中、現場で毛布かぶって寝てましたわ。

そして、朝まで地獄は続く......。
ええ加減寝て、起きたらまだ撮影しとった。何を撮ってたかについては、まぁラストシーンなんやけども、とにかく刀振り回して血が吹き荒れて転げまわってたとしか記憶にないなぁ。なんか延々そんなことやってて、いつの間にかテッペン超えて、深夜になっても相変わらず血まみれになって叫びながら刀振り回してた。やってるうちに、なんか疲れとか通り越して妙なハイテンションになってな、何やってもケラケラ笑ってたような気がするな。「近藤の頭から血を噴出させようぜ」とか、万田さん演ずる司祭の目を刀でえぐろうぜ、とか。なんか地方でよくある若者の集団リンチ殺人が分かるような気がしましたわ。集団ヒステリーが生む行動のエスカレーションでっか?もう当たり前のように画面の中に照明や暗幕が映りこんでましたからな。視野狭窄が起きてたんでっしゃろか。ワシは主に血吹きの仕掛けを操作しとったんやけど、そのときワシが考えとったのは「とにかく少しでも躊躇したらあかん」ゆうことやったな。キャスト、スタッフ関係なく血を吹きかけてやった。こういう時少しでも遠慮したら皆さんに失礼やからな。仕掛け的には園芸用の噴霧器を改造したものでやったんやけども、後半は機械だけでは物足りんようになってワシが口に血糊を含んでブーッと吹きかけてやった。もちろん、役者さんには直接吐きかけとらへんで。血糊はポリタンクに三杯分ぐらい使ったかな。何度も足りんようになって作り足しとった。みんなキャリーのようになっとったな。そんな血まみれの格好のまま近所のセブンイレブンにトイレ借りに行っとったからな。トイレで鏡見て、ハッと自分が血まみれであったことに気づいて青ざめたもんや。
とにかく永遠に撮影が終わらんような気がした。

血糊噴出装置を調整する、山本美術隊長
よくよくソドムの市の撮影は無茶苦茶やったけど、最後の最後に全てを凝縮したような地獄絵巻が展開されたわけやな。役者の皆さんも何か霊が降りてきたかのように目が爛爛と輝き、全身から妖気を放ってたな。そんなこんなしながら夜は明けて、意外とあっけなく撮影は終わった。「いいかげんもういいだろ、このくらいで」って感じで。ロケ場所の廃工場の扉を開くと、まぶしい朝日が差し込んできた。ワシは「映画の夜明けや!」って意味もなく心の中で叫んだわ。ほんで直ぐに荷物を片付け始めた。家に帰って泥のように寝たった。何の夢も見いひんかった。
Aさんはその後「地獄小僧」というソドムとほぼ同じスタッフ体制で撮影した作品に美術として参加し、ソドムの地獄を追体験することとなった。なんとかその苦行を乗り越え、今は再び通常の映画撮影の現場に復帰している。「なんか久しぶりに地球に帰ってきた宇宙飛行士みたいな気分ですわ」とAさんは現場復帰したときの感想を述べている。「ソドム前ソドム後で何かAさんの中で変わったことってありますか?」と私が聞くとAさんから「なんか体が丈夫になった気がするわ。」と、ごくありきたりな答えが返ってきた。「ま、後は禁断症状ゆうか、時折ふっとソドム撮影してたときのことを悪夢のように思い出してしまうことやな。あんな辛い記憶二度と思い出したくないって思ってるのに。まぁ、悪夢ほど人の心をトリコにするもんはないからな...」そう言ってAさんは遠くを見るような目をした。勘定をして私とAさんは店を出た。「もう一件いきますか?」と私が尋ねるとAさんは「いや、もう結構や。今日は喋りすぎてしもた。折角全部忘れかけていたのにあんたがもういっぺん思い出させてしまったんや。」と言って背中を向けた。「...すみません」私は謝った。「いや、ええんや。どうせ、もう元には戻れへんのやから...」そういって振り向いたAさんの目には薄っすら涙が浮かんでいた。「ほな、さいなら。もう二度とあんたと会うこともないやろ。」そうぶっきらぼうに言って、Aさんはネオン街の雑踏へと消えていった。後ろへ伸びたAさんの影が、どことなく高笑いしているソドムに見えた。