新谷 尚之 さま
どうもであります。
本日の一編であります。
福島音響さんのお話がありましたので、
その効果音と絡めて(ようやく書けた)「嫌なシーン」についてであります。
や、しかし、
今回の雨音以外には、
奈緒実お母さんの怪猫音ですとか、
白ハトさんの羽音とか、
どちらかというと妙な(効果)音の方が全体的に気に入っています。
あと、カツ丼をカッ食らっている音とかも・・・。
う〜ん、
福島音響さん、哀しくなっちゃうかも、
こんな音ばっかり「よかった」って言われちゃうと・・・。
し、市、四、死、シ・・・詩でありますか!?
やー、
にいやさんにそう言われると褒められたような気がいたします。
「ソドムの長編詩」・・・、
う〜んタイトルだけだと、
「ツァラトゥストゥラはかく語った」みたいでカッコヨイですね。
でも、
多分私が書くと、
三池崇史さんの作詞した「牛頭」のテーマ曲みたいになっちゃう気が
いたします(実は好きなんですけれどもね、あの唄)。
ところで「ソドムの市」って、
「父親(父性)」の存在が薄いですね〜。
黄くんのお父さんも、
確かあの霊安室にいたように思うんですがハッキリしないですし
(お父さんも眼鏡をかけてましたよね・・・)、
俎渡海家なんかそもそも母子家庭みたいですし。
あー、
そういえば高橋さんの脚本作品って、
「母と子」が軸になっているパターンが多いですよね。
「父親」はいてもいなくてもいいというか、
いても添え物に近いというか・・・。
う〜ん、
高橋さんに尋ねてみたくなっちゃいました。
というわけで、
今回このへんで。
4コマ漫画、楽しみにしています!
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「雨音はソドムの調べ」
今回は「ソドムの市」劇中、
ぼくがいちばん嫌だったシーンについてお話いたしましょう。
それは、
霊安室で黄くんのお母さんを殺してしまった後、
市郎がキャサリンのトイレに付き添っていくシーンです。
多分、
夜中のトイレが怖いので、妹が兄に甘えているって流れなのでしょうけれど、
画面を見る限りでは「雨が降っている薄暗い日中」・・・って感じなのですね。
雨とは言え、
昼日中から布団に潜り込んでいる何ともダラシナイ兄妹・・・と見えるのです。
このダラシナサが、
一般人の生活やリズムから外れている、人外の兄妹としての色合いを強化し、
幼くして近親相姦に耽っているような趣も醸し出しています。
「人殺しとか言う以前にさ、
こいつら『人』としてもう駄目なんじゃないの?」
そんな声が聞こえてきそうです
(「インフェルノ」の犯人達もこんなだったのかな、元々?)。
不浄の場で、
互いの手をつなぎ、永遠の誓いを交わす、魔兄妹。
夢野久作の小説のような、
とても抒情的で愛らしいシーンであるだけに、
このシーンはとても嫌な気分になります。
確か、こんなニュアンスだったと思いますが
「いまは子供ということだけで罪にならないけれど、
こんなんで俺、どんな大人になるんだろう?」
市郎にしてはまっとうなセリフをキャサリンに言います。
あー、市郎なりに何か悩んだり、、
自分(の未来)を恐れているんだな・・・。
そうそう、そういう不安ってあるよなぁ・・・。
ここで人外である向こう側のポジションにいたはずの市郎が、
急にぼくのエリアに侵入してきます。
何故ならば、
ぼくにもこんな想いというか恐れがあった・・・いや、今もあるからです。
今は普通に暮らしているけれど、
ちょっとしたことで、都井睦雄みたいになっちゃうんじゃないか?
世間からスポイルされるしかない存在になっちゃうんじゃないか?
そういう直視したくない、無視してきた部分を、
無理やり眼前に提示されたような衝撃がこのシーン(セリフ)にはあります。
市郎と自分が、
そんなに差のない、ほんの一瞬の差だけでその存在世界を分けただけの、
ギリギリの似た者同士ということが判ります。
もしかしたら、
明日のこの時間、
自分はどこかの霊安室で、
誰かの遺体とその遺族(の「イーブル・アイズ」)に向かい合っているのでは?
あー、昨日の今頃はユーロスペースで「ソドムの市」楽しんでたのになぁ・・・
と
絶望しているんじゃないか?
そんな、
不安と絶望の未来へと、市郎のセリフは誘うのです。
「俺もそうやけど、
あんたの将来もどうなるんやろうね〜?」
とても健気で愛らしい二人のシーンであるだけに、
その裏側に隠されている邪悪な仕掛けが何とも禍々しいではありませんか!
みなさん、
あの健気な雰囲気の市とキャサリンに騙されてはいけませんよ!
市郎を理解しようとか、共感しようなんてしちゃ駄目ですよ!!
そしたら最後、
あなたも不安と絶望・・・地獄に向かうしか
なくなっちゃうんですからね。
他人に同情したって、一文の得にもならないですよ。
だって、
キャサリンに救われたようでいて、
実はあそこから市郎の地獄行は始まってるんですからね。
キャサリンの返事で、
市郎は自らの特異な運命を受け入れてしまったんですから。
ですので、
このシーンはとても嫌ですね・・・。
市郎とキャサリンが愛らしいだけに、純粋な「悪意」が漂っています。
この二人の「愛らしさ」からして「老紳士」によってプログラムされたもので、
理解、共感、同情・・・といった感情の向こうにある「地獄」へと、
劇中世界の人物たち含めぼくたちをも誘い込まんとするための方便・擬態の
ひとつに過ぎないのですから・・・。
この雨が降り続いて、
市郎とキャサリンをそのまま家の中に閉じ込めて、
大洪水で押し流していたら・・・、
もしかしたらその方がこの兄妹には幸せだったのかも知れません。
そう考えると、
不安感を増すための効果音としての「雨音」だったと思いますが、
ぼくとしては、胎児が耳にしているといわれる胎内音のような、
温かいものを感じました。
この瞬間、
この雨(音)だけが世界(イコール地獄)からこの兄妹を隔絶して
守っている存在に見え(聴こえ)たからです。
ですので、
このシーンの雨音はたいへん好きです。
延々と続く雨だれの音も、
宗教音楽のコラールにも似た趣があって、
奥行きを感じる音に仕上がっていたと思います。
ま、だけに、
このシーンの嫌な印象がサウンド面でも強くなっちゃったんですけれどもね、
う〜みゅ、複雑・・・。
(文中敬称略)
猫目さんは『幻のソドム城』内BBS「屋根裏部屋」で、毎日『ソドム』感想文を
寄稿してくれてます。そちらもご覧下さい。 新谷