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早朝、大きなハープ用フライトケースのためにお願いしていた介護用タクシーにて成田行きのバス停へ。別れを惜しみつつ、といっても来月にはまた会うのでライトにお見送り。帰って寝る。午後マスタリング作業などをして夕方はまたユーロスペースに行って『ソドムの市』再見。つまりこの映画が目指しているのは「映画ならざるなにか」あるいは「映画になる以前のなにか」である。それはかつて自主制作8mmにおいて制作者の意図とはほぼ無関係に、物理的要因やサークル内の諸事情といった磁場の作用によって、ウッカリ一本の映画としてできあがることになってしまった映像にあったものだった。『ソドムの市』は、そのようなシネマになり損ねた生ける屍のような映像を、制作プロセスをかぎりなく大学のサークル的なものにすることでふたたび呼び込もうとする試み、だとおもう。たしかに、映画館の席を立つときの感覚は、学生時代に迷い込んでしまった映画サークルの上映会で幾度となく覚えた、なんだかスゴいけどでもこれって映画なの?というあの感情だ。だが『ソドムの市』における最大のパラドクスは、その混沌は目指されていた、ということである。上映会のあとつぶやかれていた、こんなの映画じゃないじゃん、デタラメだ、という言説が、欲望されているように思われてしまう。作り手の意図と無関係に映像から立ち現れくる恐怖と笑いが、作り手の狙いとしてみえてしまうという矛盾、これが『ソドム』の問題点であり、同時にまたその果敢さの表出であるようにおもう。
ヒバリ日誌
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ヒバリ日誌(http://d.hatena.ne.jp/hibarimusic/20041114)
より抜粋して転載