09.犯罪地獄_ソドムの市早わかり2_映画: 高橋洋の『ソドムの市』 | CineBunch

09.犯罪地獄

按摩の笛
山城新伍のハヒハヒ
線路に置き石

M作戦

  ここから世にもくだらない犯罪の嵐が吹き荒れる。


 ドイツ語を翻訳させるためだけに拉致される渋谷教授は悲惨だ‥‥。しかし悲惨であればあるほど、渋谷哲也はフォトジェニックに輝く。彼は本当に立派な大学でドイツ語を教えている先生なのだ。こんなことをしていていいのだろうか。もっとも彼の師にあたる岩淵達治先生も出演しているのだから、いいといえばいいのか‥‥。この拉致の場面はジュルジュ・フランジュの『ジュデックス』のまんまだ。つまり連続活劇ということであり、尼僧姿の悪女が出てくるのは当然の成り行きと言えよう。だが渋谷教授の悲鳴をかき消す汽笛の音は福島音響になかった。どうやら『ジュデックス』に鳴り響く鋭い汽笛の音はヨーロッパ特有の音で日本の機関車からは発せられないらしい。そんなわけであそこでピーッと鳴っているのは単なるヤカンの音だ。いよいよもって悲惨というか‥‥。新谷尚之はソドム城を巨大なヤカン型にしようと主張し、私が懸命に阻止した経緯は『映画の魔』に書かれてるが、こんなところにヤカンは登場してしまった。


 そういえば、あのソドム城は崩壊する場面も撮るはずだったのだ。あまりにもミニチュアが素晴らしいのでオープニングだけではもったいないから、崩壊も撮ろうと。まあ、モノを作ったら破壊をこそ楽しむという子供の発想の鉄則だが。キャメラをグラグラ揺らしながら、瓦礫やら砂埃を振りまき、そこにあの十字架がゴオーッと倒れてくるという、ほとんどメイン・タイトル前に映画が終わってしまう凄い展開だが、撮る時間がなかった。しかしそうやって崩壊を免れたソドム城は、近々新谷のホームページでアンコール・ワットのように発見されるらしい。巨大なヤカンの形で‥‥。

按摩の笛

 按摩の笛の音は、すでに映画のオープニング、墓標の場面から鳴っている。S4号大九が襲われる場面でも、彼女を追いつめたのは笛の音だ。この映画の中心テーマは、盲人が音で襲ってくることにある。按摩の笛の音は怖い。どうしてあの音を聞くと、我々は何か罪の意識に苛まれるような気持ちになるのだろうか。どうして古来より、按摩は無惨な殺され方ばかりして、恐ろしい祟りをなすのだろうか。成瀬巳喜男の『歌行燈』に流れる按摩の笛の音は本当に怖かった。それにあの映画には一瞬だが、たぶん幽霊に出会うのは本当はこんな感じだと思わせるショットがある。笛の音におびえて表に飛び出した主人公の傍らにふいにフレームインしてくる按摩の姿‥‥。切り返したトタン、幽霊でないことが判るのだが、しかしそれはギミックを狙ったものではない。何かもっと深刻な体験に観客を導くのだ。昔の人はラディカルだと思うのはこういうときだ。昔を賛美するのではない。ただただこのようなラディカルがあったことに驚くのだ。


山城新伍のハヒハヒ

 いくらくだらないとは言っても、ソドム一味の犯罪は本当に許せないヒドイものだ。特に娘を拉致された夫婦の場面は、私は怒りをもって撮った。ここでなされているのは本当に許し難いことなのだ。そして娘役の遠山智子がヌッと現れたときの、夫婦を演じた松川新、滝本ゆにの狂喜するさまは、犯罪のむごたらしさを最も雄弁に伝える、胸に迫るものだった。だが、この芝居の背後では恐ろしい企みが進行していた。滝本ゆにさんの夫である佐々木浩久は、娘が現れた瞬間、山城新伍のあのハヒハヒをやるよう妻に指令していたのである。判らない人たちのために書いておくと、ハヒハヒとは山城新伍がアボット、コステロから受け継いだ、驚いた瞬間に呼吸困難に陥ったようにハヒハヒとなる絶妙のリアクション芸で、佐々木家ではこれを日常生活の中に取り入れ、夫婦で完全に習得しているのだ(彼らは増村保造も特訓しているという)。破壊だ。これはヤカンどころの騒ぎではない、明らかな破壊行為だ。滝本さんはそんな夫の企みを何食わぬ顔でソッと握りつぶしてくれたのだ。握りつぶされて当然の計画とも言えるが、滝本さんの決断に深く感謝したい。あそこでハヒハヒが始まっていたら、たぶん安里がキレた。本当に時間がなかったのだ‥‥。


 滝本さんにはどこか胸に秘めた強さ、ときには怖さとすら言いたくなるものがあるのだ。それで役を考えると、患者を勝手に安楽死させてしまう看護婦とか、そういうのばかり思いついてしまうのだが‥‥。今回は娘が抱えた本当の闇に気づかぬ母親の無惨さを演じきって貰った。たぶん、松川、滝本の夫婦にはこの後、もっと救いのない運命が待ちかまえているはずだ‥‥。


 遠山智子はやはり怖かった。泣きすがる両親を冷然と見下ろす顔には、くどいようだが「おまえは宇宙で死ぬ」といつ言い出してもおかしくない気配が漂っていた。


線路に置き石

  松村の狂気のメモにかかるナレーションは津田寛治である。津田寛治は番長シリーズでは、安里の『独立少女紅蓮隊』や西村の『ラブキルキル』に出演しているが、どうもシリーズ全作に出演しているらしい。何が彼をそうさせているのかよく判らないが‥‥。『独立少女』の彼の弾丸のよけ方は、ガイ・ハミルトンの『レモ・第一の挑戦』を見て研究したとしか思えない。これこそが『マトリックス』が大金を投じても出来なかった、正しい弾丸のよけ方だ。安里に『レモ』を見せたのかどうか、聞いてみたいところだ。しかし見たから出来るというものではない‥‥。


 津田さんは北陸の出身なので、ナレーションはお国なまりでやって貰った。なまったナレーションというのは聞いたことがなかったのでやってみたかったのだ。それに私は素朴で切実なイントネーションが好きだ‥‥。しかし、あまりに変であった‥‥。それで結局『仮面ライダー』調の方を使うことにした。津田さん、変なことをやらせてすいません。

 線路に置き石は、それが撮影のためであろうが何だろうが、やれば犯罪だ‥‥。それで我々は廃線を求めて、とうとう足尾銅山まで来てしまった。ここは瀬々敬久が『ユダ』をロケした場所だ。やってることがあまりにも違うが‥‥。町のあちこちには素晴らしい標語が貼り出されていた。「裁きの日は近い」とか。ここはキリスト教の風土であり、この映画にピッタリだったのだ。何とかこの標語を登場させたかったが、撮ってる余裕はなかった。


 とにかく我々は線路に石を並べ、まさに「物質」を撮ろうとしたのだ。同時にそれはギャグであるという、この映画の精神を凝縮したようなショットを。木暮はそれがよく判っているから、延々30テイクも石を撮り続けた。モノを撮ることの難しさを思い知らされた。後にこの30テイクが判りやすい噂話で蔓延し、どうも石を撮るだけで30テイクも回しているらしいと吹聴されたのだが、まったくもって迷惑な話だ。あと「入院者続出」とか。人々はみな『地獄の黙示録』が大好きなのだ。そこで狂ってゆく監督やスタッフたちのことが‥‥。私ももちろん好きだが‥‥。


 撮り終えてちょっとゾッとしたのは、このショットが『新耳袋』のある怪談とそっくりだったことだ。それは著者木原浩勝の少年時代の体験だ。あれは恐ろしい空想をかき立てる怖い話だ‥‥。

 浦井崇の真の恐ろしさに気づいたのもこの場面だった。『アメリカ刑事』ではそこまで判っていなかった。置き石に気づいた線路工夫を斬る場面で、浦井崇は自ら線路に飛び降りるアクションを提案したのだった。うーむ、出来るはずがないと私は踏んだが、とにかく本人が主張してるんだからやらせてみようと、後は木暮たちに任せて私は代わりのプランを考え出していた。ところがテストをしてみたら、浦井は見事なアクションをやってのけたのだ。誰も予想していなかったので、自然「おおおッ」とどよめきが上がり、「浦井、やればできるじゃん」と我々の評価は一変し始めた。「任せてといて下さいよ」と浦井がドンドン気持ちよくなってゆくのが判ったが、私もちょっと反省した。やっぱり任せるって大事だなと。で、本番。同じことは二度と出来ないと言われた浦井がテスト同様に見事にジャンプを決めて、私としては十分オッケー、やあ、浦井大したもんだと誉めようとしたら、「もう一回やらせて下さい」と妙な熱気の入れようになっている。何でも途中で一瞬、眼を開けてしまったらしい。いや、いいよそれくらいと言っても、もう一回と聞かない。で、もう一回やったら、浦井は転けた‥‥。それも線路に膝をぶつけたらしく、尋常の痛がりようではない。これは普通じゃないと現場が凍ったのは言うまでもない。ああ、本物の「混沌」だと私は思った。一切の予測を常に裏切り続ける、恐るべき無意識がここにいる‥‥。最悪、膝の皿でも割っていたら、主役降板の危機である。しまった万が一のために線路を養生しておくべきだったと、プロとは異なる現場を模索した自分の甘さと責任を痛感しつつ、しかし一方でまあ、「造顔術」(後述)で何とでもなるとヒドイことを考えていたのも事実だ。『ソドム』は現場で何が起ころうが、その破壊を取り込んで勝手に映画になってゆく‥‥、私はそういう精神状態にあった。というのも、自主映画時代の私はそうやって映画を作ってきたのだから。


 結果、そこまでの大事ではなく、浦井は痛みをこらえて芝居を続けてくれた。私は感謝した。腹が立つんだけど。その夜は、浦井と中原さんと私で飲み、撮影の反省をした。「高橋さん、やっぱり諦めるって大事だと思うんですよね。嫌な言い方ですけど捨てカットというか」と浦井から諭され、おまえにだけは言われたくないと思いつつ、しかしそれも一理あるなと、飲み屋を出たら、「お客様!」と店員が追いかけてくる。その手にはソドムの仕込み杖が握られていた‥‥。浦井が預けたまま忘れてきたのである。底が知れない‥‥と私は恐ろしくなった。こいつは本物の混沌だ。そうだ、だからこいつはソドムなんだ‥‥。で、あんまり腹が立ったんで、私は浦井が転けたショットを使った。

 ちなみに線路工夫を演じた伊藤晋は、『死臭のマリア』という短篇を撮った人で、とにかく見ているとムラムラと映画に出したくなる、美学校スターシステムの重要な一員だ。浦井は現場で伊藤の存在感にバリバリに反応し、彼主演で映画を撮りたいと言っていた。ぜひ撮って欲しい。

M作戦

 「M」とは松村ではなくマネーの「M」であり、これはマブゼがやり、死ね死ね団がやった偽造紙幣の大量散布による経済崩壊作戦を指している。『ドクトル・マブゼ』にあってそれはワイマール時代に起こったハイパー・インフレのまさに時代の記録であり、そして私は『レインボーマン』を見て、インフレというものの本当の恐ろしさを理解した。この作戦名の渋すぎるネーミングといい、経済から攻めるという社会性といい、『レインボーマン』は特撮変身物の中でもちょっと他に類を見ない番組で、原作者川内康範への尊敬を決定的なものにした。その衝撃は(特に群衆が米屋を襲撃するくだりの凄さは)すでに多くの人の証言があるだろうからここでは語らずにおこう。


 現金輸送車襲撃の下りは明らかに3億円事件をベースにしている。何処がと思われるかも知れないが、私はすでに『ピエタ』という映画であの事件のかなり正確な再現を試みているので(しかも新谷尚之のアニメーション入りだ)、ここでは銀行員杉田協士と警備員木田貴裕の関係に絞った。いや、何処がとやっぱり思われるかも知れないが、杉田のエリート然とした風貌と、たぶん責任の一切を負わされるに違いない木田の陰鬱な表情は、あの事件のかなり正確な反映だと思う。木田は映画を破壊しかねない素の表情であり続けるために、かえって誰もが出演させたくなる美学校スターシステムのベテラン。安里の『子連れ刑事』で刺客の一人を演じたときの何処までも素であり続けた芝居は衝撃的だった。杉田は決して車を持っているから出演して貰ったのではなく(杉田が車を持っていると私に吹き込んだのは黒沢清だが)、あの正義漢にも悪人にも見える独特の風貌が私は好きなのだ。もっとも杉田はかなり怒っていたらしいが‥‥。というのも、人をはねる芝居で、我々の計算とはまるで違ったことが起こってしまったからだ‥‥。


 銀行の場面は、万田邦敏の『う・み・め』のセット(といっても美学校だが)をそのまま流用。女子行員は事務局の加茂庸子がそのまま出演。画面を横切る巨大な警備員は大工原正樹だ。刺殺される竹平大臣は諏訪敦彦に出て貰った。本当にこの映画は色んな人に迷惑をかけている‥‥。

 

08.マブゼの遺言   10.一杯のかけそば