07.吸血地獄_ソドムの市早わかり2_映画: 高橋洋の『ソドムの市』 | CineBunch

07.吸血地獄

魔法陣
『フランケンシュタインの花嫁』
そば屋のアウシュヴィッツ
 「吸血地獄」とは『怪奇大作戦』のあまりにも有名なエピソードだ。そしてこのエピソードには『顔にない眼』や『生血を吸う女』に通じるグランギニョルの気配が満ち満ちている。私はグランギョルが好きだ。そこにはサド以来の暗黒小説の想像力が最も大衆的な形で息づいている。もっともグランギニョルで忌まわしい実験の犠牲者としてアジトに連れてこられるのは美女と相場が決まっているが、何故かここでは出前持ちになってしまった‥‥。「吸血地獄」と『どろろ』の血を吸う妖刀とがない交ぜになった辺りから何かおかしくなってきたわけだが、おかしくなったらなったなりで行くのが、『ソドム』の精神だったわけだ。それにしても小中千昭氏の『稀人』の脚本も明らかに「吸血地獄」がモティーフだったのには驚いた。ああ、何でこの辺の人たちは同じことを考えてしまうのか。聞くところによると『稀人』の現場では塚本晋也氏も『怪奇大作戦』への熱い思いを語っていたという。恐るべし『怪奇大作戦』‥‥。


 そういえばあの妖刀には、『どろろ』だけではなく、内田吐夢の『妖刀物語・花の吉原百人斬り』も反映されている。地蔵和讃といい、やはり内田吐夢は私にとって基本的な人だ。『百人斬り』オープニングの機織りの回転する車にグワッとキャメラが寄って始めるタイトル・クレジットは明らかに因縁因果の理を表し、『ソドム』に影響を与えている。

魔法陣

 ソドム一味の地下アジトとなった倉庫を見つけてきたのは、我々を富士胎内巡りへと誘った製作、山川だ。『ソドム』の製作は山川と御園生の二人しかおらず、二人とも車が運転できず、御園生は携帯すら持っておらず、そのことを知り合いのプロの製作に話すと「それは21世紀の製作かも知れない‥‥」と絶句に近いコメントが返ってきたが、しかし、やるときはやるのだ。山川はどう見ても廃墟にしか見えない倉庫を見つけるなり(実際、廃墟だったが)、飛び込みで話をつけてきて、さっそく近所へ挨拶回りをしたのだが、近所の人々は倉庫の名前を聞くなり、表情が変わり、「え、あそこで‥‥」と言葉を詰まらせたらしい。いったいあそこで何があったのか、山川かは怖くて聞けなかったという。


 魔法陣は美術山本の渾身の傑作である。まさかあれほど立派なものが仕上がるとは思ってもいなかったが、『悪魔くん』のあの魔法陣を描くのは私の夢だったのだ。もっとも小中千昭によれば、あれは魔法円と呼ぶのが正しいのであり、考えてみれば実にそうなのだが、『悪魔くん』のせいでずっと魔法陣と呼んできてしまって40歳をとうに過ぎた私は今さら呼び方を変える気はないのだ。描かれたのは呪文と同様、これまたホンチャンの偉大なるアグリッパの大魔法陣なのだが、こういうものを描くときはやはり念のため、一字だけ文字を間違えるよう山本に指示を出すつもりでいたが、現場の騒乱の中ですっかり忘れ、そのまんま描かれてしまった‥‥。人間いざとなると何でも流すものだ。今もあの倉庫には魔法陣が描かれたままだ。どうなってるか知らない。


『フランケンシュタインの花嫁』

 ソドムが松村博士に語りかける芝居は、続編とはかくあるべしという複雑さに満ちた、比類なき『フランケンシュタインの花嫁』の、プレトリアス博士がフランケンシュタイン博士と手を組もうとする場面を見ているときに思いついたギャグが元だ。プレトリアス博士はあくまで堂々たる威厳をもって手を組もうと呼びかけるのだが、どこか手を組んで貰わないと困る切実さが漂い、「一人ではダメだが」という台詞を思いついたのだ。ソドムが松村を誘惑する下りでは、ソドムが街中いたるところにある東京メトロの「M」マークを指し示して、「どうだ、すでに東京中があなたにひれ伏している」という『長靴をはいた猫』みたいな手も考えたが、こういう時事ネタはすぐ寒くなりそうでやめた。


そば屋のアウシュヴィッツ

  魔法陣の傍らに山と積まれた岡持は犠牲者となった出前持ちたちの悲劇を告げているのだが、さて観客に判って貰えるかどうか。ボォーンと晩鐘も鳴らしたんだが。判らなかった人はここで笑って欲しい。あの大量の岡持を作った新谷尚之のためにも。『インフェルノ・蹂躙』のラストでもやったが、私は犠牲者たちの遺品を示すことにこだわり続けている。これもまた凶器とは違った意味で事物がたどる運命だ‥‥。そういえばあの『インフェルノ』が、新谷尚之が美術に協力してくれた最初の作品だ。

早わかり? 2枚目   08.マブゼの遺言