電話回線は、私にとって列車のレールと同じくらい怖いものだ。子供の頃は電線を見上げるのも怖かった。だからラングの『M』の風船が電線にひっかかっているショットは、意味上は風船を持っていた子供が殺されたことを暗示しているのだが、そもそもラングはそうした意味以上の裂け目のようなショットを撮ろうとしていたことがよく判るのだ。それにしても、レールが怖いのはもちろん肉を巻き込み引き裂く鉄の車が絶対に逸れることなく迫ってくるからに決まってるが、電話回線は何であんなに怖いのだろう。それはたぶん、人物の居場所を特定してくるからだ。何気に入った喫茶店に電話がかかり、呼び出されたりしたら震え上がらずにはおれないあの感じ‥‥。黒澤明の『天国と地獄』のあの有名な、刑事たちが床にはいつくばって逆探知を行う場面は、人間狩りを行う者たちの獰猛にぎらつく眼を捉えていて、電話をかける時は本当に気をつけようと痛感させる。警察は人類が考え出した最強の人間狩りのシステムだ。逃げおおせるヤツもいるだろうが、私は子供の頃から幾度も、自分が狩られる側に立ったときをシミュレーションしてみて、絶対に逃げられないことを悟り、夜眠れなくなったものだ。
この特定されるということで、誰にとっても忘れ難いのは『怪奇大作戦』の「恐怖の電話」だろう。刻一刻と電話回線が接続され、犠牲者のもとへと迫ってゆくあの場面は、事物が連関することの恐ろしさをこれ以上ないくらい指し示している。『発狂する唇』の「霊的逆探知」は、この本質的には恐ろしいことをギャグとしてやってみたのだ。本当は恐ろしいことをギャグにすると(決してパロディに陥ってはならないのだが)、それは見る者に攻撃をしかけると同時に解放する。空を走る電線の神経症的な忌まわしい光景がギャグに転化したとき、人々の笑い声は事物と同じレベルで立ち騒ぐ。今回の「逆探知」も私はセルフ・パロディのつもりでやったのではない。とにかく‥‥、やらないと気が済まないからやったのだ。▲
人間バーベキュー
そして「恐怖の電話」を受けた者は炎につつまれ、人間バーベキューとなるのだった。私を魅了し続け、やはりやらなくては気が済まないのは、人間が(というか女が)燃え上がるということだ。8ミリ時代の『夜は千の眼を持つ』でも私は同じことをやったし、その8ミリのショットは、タイトル・シーンの闇に浮かぶモニターの一つに紛れ込んでいる。その直接の原典は『怪人マブゼの挑戦』だが、考えてみれば、これはジャンヌ・ダルク以来の原型的なイメージだし、映画は繰り返しジャンヌ・ダルクの火刑を描いてきてきた。ここには撮る者と撮られる者との関係の根っこにひそむ何かがある‥‥。キャメラを向けたトタン、女優が炎に包まれ絶叫することが私の最たる夢想だし、そこには撮る者と撮られる者の関係が極限的に示されている。うまく説明できないのだが、撮ることは相手を殲滅することなのだ。映画の根底にはそのような忌まわしい欲望がひそんでいる。いまだ果たせぬ『女優霊2』の構想はいつもこの周囲をさまよっており、女優とは即ち、本質的に生贄なのだ。
ジーン・セバーグのドキュメンタリーを私は見た。彼女のデビュー作はプレミンジャーの『ジャンヌ・ダルク』だった。クライマックスの火刑の場面で彼女は、スタッフのあり得ないミスで一瞬だが、本当に炎に包まれて、ゾッとするような声を上げた。それは恐ろしい光景だった。炎は生き物のようにジーン・セバーグの肉体に迫り、顔を、髪の毛を這い上がった。そしてプレミンジャーはそのショットを映画に使った。
原初の映画は、たとえば『キングコング』は、映画が呪われたものであることを私たちの無意識に告げ続け、不気味な光芒を放ち続けている。あの映画監督は、街で拾った女、フェイ・レイを女優に仕立てて船に乗り込ませ、コングの生贄にするつもりだったのだ。コングの島に到着する前の、甲板でのエピソードはとても恐ろしい。あの監督はキャメラ・テストと称して、フェイ・レイを甲板に立たせ、もっと上を見ろ、もっと、もっとだ、相手はもっとでかい、そうだ、そこで悲鳴だ!とフェイ・レイに絶叫を上げさせる。それを見ていた乗組員たちが不吉な予感につぶやく。いったい彼女に何を見せるつもりなんだ‥‥?
そんなわけで、この忌まわしい欲望の犠牲者になったのが、S4号、大九明子なのだった。『アメリカ刑事』でも大九は最大の血飛沫の中で散っていったが、どうしてこういつもいつもヒドイ役を彼女に振ってしまうのだろうか‥‥。ちなみに『ソドム』の現場を支えた撮照・演出スタッフは大九の『意外と死なない』で結成されたチームなのだ。しかし誰でもいいから燃やせというわけにはいかないのだ。やはりそれを呼び込む人を燃やさなければ。大九の何が呼び込むのだろうか。あの、誰に誤解されようが決してくじけることなく続ける露悪趣味の言動だろうか。それは確かにある。こう書くと、単に腹が立ったから燃やしたと思われるかも知れないが、断じてそういうことではなく、あの露悪的に「権力」を演じ続ける彼女の芸風にこそ私は魅了されるし、それは燃やさねばならないのだ。むろん、あの露悪趣味は彼女の繊細さの裏返しだ‥‥。それに彼女は頑張れば安田道代にも似ているのだ。そんな話ばっかりだが‥‥▲
富士胎内巡り
大九焼殺の場で、我々撮影隊は唯一、八王子の空き地ではなく、本物の荒野が間近い御殿場まで足を伸ばした。というのも、白昼堂々と等身大の人形を燃やせるような場所は都心では河原ぐらいしかなかったからだ。撮影が終わって、我々はやはり本物の火山灰地が見たい誘惑断ちがたく、富士の裾野へとロケハンに向かった。しかし製作、山川にナビを任せたのが災いし、我々の車はいつまでたっても荒野にはたどり着かず、すでに日は落ち、何のために走っているかも判らなくなったとき、ふと窓外の漆黒の闇にボォッと浮かび上がったのは、「富士胎内巡りはこちら」の標識であった。あのまま闇の中を、諸星大二郎の『暗黒神話』のように突き進んでいたら、我々はどうなったのか‥‥。以後、我々は二度と御殿場には行かず、荒野はすべて八王子の空き地で撮り切った。ちなみにそのとき乗っていたのが、劇中ソドム車に仕立てたベンツで、このソドム車登場シーンにいきなり戦車のキャタピラ音をつけてきたのは福島音響の社長である。何というか‥‥、偉大としか言いようがない。ベンツがその後使用不能に陥り、ソドム車が突然BMWに切り替わったのがすべてソドムのせいであることは、「ソドムより」に記した通りだ。▲
ラップ音
大九が身を潜める印刷工場は、言うまでもなく『怪人マブゼ博士』の印刷工場とつながっているわけだが、あそこで響き続ける振動音は実は機械音ではなく、霊出現の予兆として鳴るラップ音なのだ。ソドム一味がたるそうにやって来るショットや(私はあのショットがとても好きだ)、新聞紙面に登場する松村博士や、拳銃を構える大九は、霊的な音に包まれていたのだ(おそらくそれ故に、大九の手をキャサリンと同じように霊的に見せようとしたのだろう)。福島音響でラップ音といっても、さすがにこればかりは判らなかったので、私はロバート・ワイズの『たたり』を持ち込み、録音技師の小宮さんに聞いて貰った。「幽霊が出るときって、こういう音がするんですよ」「はあ‥‥、初めて知りました」。小宮さんは半ば呆れつつ、光学録音の『たたり』の音に無理やり迫るSEを作ってくれた。▲