03.血の婚礼_ソドムの市早わかり2_映画: 高橋洋の『ソドムの市』 | CineBunch

03.血の婚礼

犯罪実話
呪文
 
 
 
 本当は結ばれるべきではなかった二人が結ばれて陰惨な犯罪劇の幕が開くのがシャブロル の『血の婚礼』だが、『ソドム』はまったく逆の関係で、何事もなく二人が結ばれていればすべては丸く収まったのに、そうならなかったばっかりに血の雨が降る。


 私にとって「悪」とはそういうものだ。つまり「悪」は本当は「善」になりたくてなりたくてたまらないのに、決してなれない、そういう烙印を押された痛みにのたうち回るしかない連中なのだ。谷崎潤一郎の短篇『或る調書の一節』に、そういう悪のむごたらしいありさまがはっきり書かれている。


 ところで、話はいきなり18世紀パートに戻るが、そもそもあのソドム城で、花嫁は何故血を吐いて死んだのだろうか?

 井原西鶴の原作では単なる「病気」である。単なる「病気」で花嫁を失った、その理不尽に耐えきれない主君は、ある理由づけを求めざるを得ず、その理由がさらなる悲劇を生んだ。私はシナリオ執筆時、そういうことだろうし、それが恐ろしいと解釈していたのだが、新谷尚之はいや、やっぱり俎渡海市兵衛のせいじゃないかと疑惑がこみ上げてくるという。浦井崇を見ていると、確かにそんな気もしてくる。婚礼の前の夜に何かしたんじゃないか、あいつは。自慢の料理だとお好み焼きを作って届けさせ、花嫁はせっかくの心づくしだからと無理に食べて、それがあたった‥‥。そして市兵衛はそんなことはケロリと忘れて逆上し、災難をまき散らす。以上が新谷説である。今、テレビのCNNにジャネット・ジャクソンが映っているが、青ざめ引きつった表情で必死に弁明する彼女を見ていると、スーパーボウルのイベントで彼女の乳首を露わにし、全米のお茶の間を混乱に陥れたあの男は、ひょっとしたら浦井崇だったんじゃないかと思えてくる。世の中には浦井崇的な事態というものがあるのではないだろうか。『ブラックサンデー』がついに果たし得なかったテロを、はるかにくだらない形であっさりと達成してしまうような、ひたすら迷惑なだけの事態が‥‥。


 血塗られた花嫁役は、『桶屋』『稲妻ルーシー』など西山洋市映画に出演している今関朱子さんにはじめから決めていた。ひじょうにシンボリックな役どころだから、もっと抽象的に演じるという作り方もあり得て、彼女もそこで悩んでいたのだが、いや、抽象性はむしろテレーズやキャサリンであって、もっとごく普通にそこにいる、しかし手が届かない生身性(つまりあらゆる人にとっての初恋の人であるような)をお願いした。花嫁衣装が一着しかなかったので、血を吐く芝居だけで事前にリハーサルをやるという、何とも贅沢なことをやらせて貰った。今関さんが血を吐く場面は、暗転する照明も含めて、見事に怪奇映画になっていた、と思う。あれは、高校時代、初めて大島渚『日本の夜と霧』のスチールを眼にしたときから、私に棲みついていたイメージだ。『日本の夜と霧』は私には怪奇映画にしか思えなかった。結婚式で大変なことになるという点でしか『ソドム』に似ていないが、怪奇と社会派の融合という魅惑的なヴィジョンを植え付けてくれたのは、あの忌まわしい花嫁姿のスチールだったのだ。映画を見ずに妄想するということは重要だ。今日ではしばしばその特権性が見失われがちだが‥‥。



犯罪実話

 
 牧逸馬の『世界怪奇実話』ほど、私が夢中になって読んだ本はないんじゃないかと思う。


 一見何でもないものが凶器に変貌する。それが私が犯罪実話から常に感じ取る恐怖なのだ。およそ大半の犯罪は、そんな目的で購入したのではない包丁やら何かが辿る思いがけない運命によって構成されている。事物がたどる運命は怖い‥‥。アルドリッチの『ふるえて眠れ』冒頭の包丁の見せ方はそのような事物の運命を描写していた。キャサリンの「ウチ、何もやってへんよ」は言うまでもなく、毒入りカレー事件の有名な台詞である。


 毒薬は本当はアフリカ産の"タリタリ"という猛毒を使いたかったのだが、大変なことになるので止めた。というのもこの"タリタリ"は、それを盛られたと知った者は毒が回り始める前に自分の喉をかき斬ろうとするくらい、凄まじい死に方をするものだからで、描くとなったらそこをチャンと見せないとウソだが、話がドンドンややこしくなってくるのだ。


呪文

 私は呪文が好きだ。「エロイムエッサイム」も「アノクタラサンミャクサンボダイ」も「エコエコアザラク」も、とにかく子供は呪文を唱えるのが大好きに決まっているのだ。


 俎渡海市兵衛の幻影が唱える呪文は、魔術学の泰斗エリファス・レヴィの著書から見つけ出したホンチャンの悪魔召還の呪文だ。こんなものを本当に唱えていいのかどうか、福島音響でちょっとためらいが走ったが、そもそもレヴィの著書にはラテン語の原文がそのまま載っているだけなので、誰もどう読んでいいのか判らないのだった。そこにたまたまウォルフ役のラムロ・シャルルがいて、フランス人の彼は鮮やかにラテン語を読んでくれた。つくづくというか、『ソドム』の現場は行き当たりバッタリで強運なのだった。唱えた結果何か起こったかどうか、知らない。たぶん何もなかったと思う。

 

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