典子と書いて、「つねこ」と読む。劇中ではソドムの母親の名前だが、そもそもソドムを演じた浦井崇のお母さんが典子さんというのである。そうだ、「ソドムより」に記したとおり、典子さんこそ、浦井崇に眼に醤油をさされたその人であり、『ソドム』は実話に基づいて描かれているのである(なお、息子から典子が映画が出ると聞いたお母さんは「それで、いつ東京に行けばいいの?」と完全に出演するつもりだったという)。
演じてくれたのは、この人をおいてほかにない、吉行由実さんであった。というのもこの役は、私にとって『発狂する唇』や『血を吸う宇宙』の、およそ考えつく限りの家庭的不幸を一身に背負った母親像の延長上にあるからだ。『血を吸う宇宙』のクライマックスで、『ファウスト』の狂えるグレートヒェンの歌を悲しく悲しく歌ってくれた吉行由実は胸に迫る素晴らしさであった。もっとも出演をオファーするたびに設定年齢が吉行さんの実年齢から遠ざかってゆく気がするのは、やや心苦しくはあったのだが‥‥。今回も「10歳の息子がいる役なんです」と切り出すなり「わあッ、嬉しい。久々に実年齢に近い役ですね」と電話の向こうで無心に喜ぶ吉行さんに、いや、実はたちまち20年の歳月が流れるし、しかも老婆と尼僧の三役なんだけどと話を続けるのは、何か罪悪に近い行為のように思えたものだ。
ピンク映画の監督であり、主演女優であり続けたと聞くと、人々はどうしたって壮絶な人生を生きてきた人のように彼女をイメージしてしまいがちなのだが、実像の吉行さんは大林宣彦映画をこよなく愛し、少女時代はコバルト文庫を愛読し、映画の打ち上げで『フランダースの犬』をウキウキと歌い出したトタン、たぶん悲しいラストを思い出したのだろう、いきなり涙ぐんで歌えなくなり、周囲がどうしていいか判らなくなる、そういうトコトン純粋な人なのだ。私はそんな吉行さんを見るにつけ、またも罪悪感がこみ上げ、ああ、何でこんな清らかな心の持ち主にいつもいつもひどい役ばかりオファーしてしまうのだろう、あのウキウキと歌うときの澄み切って張りのある声を鮮やかに響かせるような、もっと若々しい近い役が書けないものだろうかとしばし悩むのだが、結局書いてしまうのは、『ソドム』全篇の凶事を引き起こす諸悪の根元のような老婆であり、荒野で無惨に野垂れ死ぬ最下層民の尼僧なのだ‥‥。
思うにかかるキャラを呼び込む原因は、吉行さんを見るにつけ感じる罪悪感そのものにあるのではなかろうか。何か後ろめたさを感じざるを得ないが故に、私はその反転でよりひどい役を考え出してしまうのでは‥‥。ということは、この「後ろめたさ」とは即ち、私たちがなかったことにしようとしている「女地獄」のはるかな呼び声であり、吉行由実とは実に「女の業」を体現し得る女優なのかも知れないのだ。そういえば『D坂殺人事件』の真田広之が殺人に走らざるを得なくなるのも、よく考えたら吉行由実が原因ではないか。浦井崇とは違う意味合いで、吉行由実は「無意識の殺人鬼」なのだろうか‥‥。
もっとも『怪談新耳袋』の「家紋」のエピソードで吉行さんにとうとう孫のいる役を演じさせ、年齢設定の引き上げを一気に押し進めた張本人たる佐々木裕久は、「後ろめたさ」など感じたこともないだろうが‥‥。『ソドム』の試写を見終わった彼は、あの老婆が「あり」なら、今度は吉行さんに『八つ墓村』の「濃茶の尼」を演じさせたいなどと人非人としか思えぬ発言を残して去っていったのだった。
で、その母、典子もやっぱりひどい最期を遂げるのだが、この異様な死に方を私は確か、香港か中国の映画で見た気がするのだ。やっぱり中国人は我々の想像を絶していると。ところがその種の映画に詳しい佐々木裕久に聞いても、彼の周辺の香港映画通にもそんな場面のあった映画が思い当たらないという。では、私が見たのは一体何なのか。ご存じの方はご一報いただけると有り難い。いずれBBSを立ち上げるつもりでいるので。
ちなみにすっかり出演する気であった本物の母、典子さんは、その後、浦井崇の新作『女は風林火山』についに出演しているという(東京ファンタ「600秒」に出品)。どうやら他の出演者を圧倒しているという。

*吉行さん本人の希望で老婆の写真は使っておりません