地獄のキャサリン_ソドムの市早わかり1_映画: 高橋洋の『ソドムの市』 | CineBunch
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 キャサリンを演じた宮田亜紀は、『アメリカ刑事』から浦井崇と兄妹の役をやって貰ってるわけだが(何故か必ず狂った兄と病身の妹という設定を二人は呼ぶのだ)、このふだんは内気そうに黙っているおとなしげな人が結局は最後に最も"地獄"の凄涼感を漂わせてたたずみ、血の池にのたうつ"女地獄"の諸相を告げているかのように思えてくるのだ。何というか、『キャリー』のクライマックスにも通じる、どうにも救われようのない悲哀が、兄貴がどうしようもなければないほど強まり、それは不可思議なことに"地獄"への回路を開きながら、同時に強烈なメロドラマの垂直軸を打ち出してくる。『アメリカ刑事』で窓を挟んで浦井とキャサリンが会話する芝居を撮っていたとき、私もキャメラの木暮も何かとても痛ましく悲しい場面を撮っているような気がしてきてひどく打たれたのだ。それは『ソドム』においてもそうだった。この二人はメロドラマを呼び寄せるのだ。
 
 一体これは何に起因するのだろうか。二人の出身地である関西文化圏に何か関係があるのだろうか。様々に思いを巡らしているところに、ある日浦井崇から電話が入った。森崎東の『女は男のふるさとよ』を見て、彼はひどく興奮していた。これこそが自分が目指す喜劇の一つの理想型に違いないと。ちなみに森崎東は私にとって大和屋竺と並んで師と仰ぐ重要な存在なのだが、私はその浦井の言葉にハタと気づかされたのである。何ということだ、浦井崇とキャサリンの関係は、私が最も好きな森崎映画『女生きてます』の、安田道代と橋本功のあの擬似兄妹的関係にそっくりではないか。当時流行った任侠映画の着流しヤクザのパロディ然として喜劇的に登場した橋本功が、そのあまりのダメ男ぶりにパロディ的滑稽さが反転して深い絶望の相にまでに迫っていき、結局どうしても離れることの出来ぬ安田道代と最後に手を握り会い、歩いてゆく、その場面のムチャクチャな飛躍の凄さをまだ見ていない人はぜひとも見て欲しいものだ。森崎東から私はじかに聞いたが、あの突拍子もないラストは空想の産物ではなく、取材した実話に基づいているのである。 

 森崎東のみに限ったことではない。森崎と山田洋次が作り出した『男はつらいよ』の寅とさくらの関係において、その絶望はすでにベースにあったことだし、山田洋次原案の加東泰『みな殺しの霊歌』には、寅とさくらのあるいはこうであったかも知れない暗黒の可能性が描かれているのだ。だからあるいは、浦井崇とキャサリンは期せずして、松竹が開発し、それを見て育った私が血や肉としたメロドラマ性を媒介してしまったのだ。そうえいば森崎映画では、どう見ても日本人の倍賞美津子がバーバラと呼ばれたりするではないか‥‥。 

 『女生きてます』は明らかに"地獄"に触れていた。久々に再会した橋本功を前にして、安田道代が養護施設で彼を兄と慕った思い出を語るとき、橋本功はもう二度とこの女を手放さないために、その場で強姦してしまうのだ。しかしそれでも安田は橋本を「兄」と慕い続ける。他に何もすがるものがない"地獄"の中に二人は漂白するしかないのだから。『女生きてます』には山本直純の「地獄歌」が繰り返し流れていた。いや、それは厳密には「歌」ではないのだが、明確に"女地獄"を生きるしかない者たちへの鎮魂の歌なのだ‥‥。

 ちなみに『ソドム』には、もう一人、私にはどうしても"地獄"と通じているとしか思えない女性が出演していた。それは拉致され、洗脳する娘を演じた遠山智子だ。彼女は『亀の歯』や今年の美学校映画祭に出品された『アカイヒト』などの監督作で内外の期待を集める作り手でもあるのだが、新谷尚之が彼女に一種の巫女性を見出しているのに対して、私にはどうしてもこの人は「おまえは宇宙で死ぬ」と唐突に言い出しそうな怖さをはらんでいる‥‥。で、一方の宮田亜紀はといえば、同じく美学校映画祭に出品された水口波の『バランシファーレ、最後の恋人』で、テニスルックという健康きわまりない姿でいささか大映テレビ的な直球青春ドラマを演じ、この手があったかと私を動揺させた。しかし、やっぱり浦井崇のどうしようもない兄は登場し、やがて破局へと向かってゆくのだ。こうした映画群は私に「商品」とそうでないものとの違いは何かを深刻に考えさせた。というのもこれらの映画は今、劇場にかっかっている大金を投じた映画よりもはるかに充実した体験をもたらすからだ。にもかかわらずそこには「売りにくい」という絶対的な溝が横たわっている。だが私はこのように本質的に充実したものからもう一度「商品」を捉え直さない限り、今日の「商品」に新しい血は導入されないと思っているのだ。いずれにせよ、これらの映画は作り手たちの努力でもっともっと上映されなければならないし、映画番長に取って代わる勢力になって貰わなければ困る。そのようなベースは3年前にはまだなかったが、今は確実に生まれているのだ。